秋田県大仙の楢岡焼(ならおかやき)の銘々皿です。
楢岡焼は1863年地元の篤志家、小松清治が秋田の寺内焼陶工を招いて開窯したのが始まりといわれています。
一説には大堀相馬焼の陶工を招いたという説もあります。
楢岡焼初期の陶器は大堀相馬焼にそっくりで、馬の絵が入ったものがあるそうです。
今後研究が進めば真実が分かる時がくるのでしょう。
明治中期以降に現在も使われている海鼠釉(なまこゆう)が使われ始めたそうです。
大正・昭和に入り他の陶器産地の焼き物が大量に入ってきて衰退してしまいましたが、濱田庄司、加藤唐九郎らが指導し楢岡焼は復活していきました。
現在、楢岡焼は生活の器を中心に作陶されています。
この銘々皿は海鼠釉を用いた典型的な楢岡焼です。
初め見たときは海鼠釉のこの色がお菓子に合うか心配でしたが、意外とどんなお菓子にも合います。
毎日使っても飽きない、民芸の器です。

きれいなブルーですね。

裏側も整っていてきれいです。

一枚一枚の濃淡が異なる様子は、手にするとさらに楽しめます。
楢岡焼は1863年地元の篤志家、小松清治が秋田の寺内焼陶工を招いて開窯したのが始まりといわれています。
一説には大堀相馬焼の陶工を招いたという説もあります。
楢岡焼初期の陶器は大堀相馬焼にそっくりで、馬の絵が入ったものがあるそうです。
今後研究が進めば真実が分かる時がくるのでしょう。
明治中期以降に現在も使われている海鼠釉(なまこゆう)が使われ始めたそうです。
大正・昭和に入り他の陶器産地の焼き物が大量に入ってきて衰退してしまいましたが、濱田庄司、加藤唐九郎らが指導し楢岡焼は復活していきました。
現在、楢岡焼は生活の器を中心に作陶されています。
この銘々皿は海鼠釉を用いた典型的な楢岡焼です。
初め見たときは海鼠釉のこの色がお菓子に合うか心配でしたが、意外とどんなお菓子にも合います。
毎日使っても飽きない、民芸の器です。

きれいなブルーですね。

裏側も整っていてきれいです。

一枚一枚の濃淡が異なる様子は、手にするとさらに楽しめます。