三代  佐々木昭楽さんによる、一入「曙」写し茶碗です。

「写し茶碗」
陽のあたることがない茶碗です。茶会に出されることはありません。

写し茶碗は、時にその存在の是非さえ論じられ、そして多くは否定的意見で無視されることが多い茶碗です。


ほとんどの茶人にとって、遠い昔の、高名な長次郎や一入の茶碗は手にすることはできません。

「手に取って、長次郎を感じたい」「手に取って、一入を感じたい」
誰もが思う願いです。

多少なりとも、その思いをかなえてくれるのが、写し茶碗です。
それだけで十分に写し茶碗の役割、存在する意義があります。

職人、作家には、ジャンルを問わず美術品、工芸品の写しを造ることで力量を高めるということがあります。

美術品、工芸品を楽しむ者は、「写し」の向こうに本物への思いを馳せます。

評価されることが少ない  写し茶碗。
何故か惹かれるものを感じるのは、私だけでしょうか。

写し茶碗。友人が集まって茶を楽しむ時には、長次郎や一入に思いを馳せながら話題が膨らみ楽しめます。

写し茶碗は確かな技術、茶碗への熱い思い、先人への思いがないと造ることはできません。

写し茶碗。気になりませんか?

この茶碗は黒楽茶碗です。
赤みがかった釉薬も薄くかけられ、まさに曙を感じます。
「写し」など関係なく、純粋に茶碗として魅力的です。