五十五番のざざざざ財津です。
去る2月10日、故郷の大分県日田市へ親友の結婚式のため帰省しました。
日曜日にも関わらず、シフトをカバーして行かせてくれた五十五番メンバーに感謝です。
今回約一年半振りのじい様の葬式以来の帰省でしたが、本当に夢の時間でした。
何故かというと自分を育ててくれた親友、恩師の皆さんにたくさん会えたからです。
やはり地元は狭く、同じ日に後輩と先輩の結婚式もあり、二次会会場は3件とも100M圏内の店だったのでかなりの多くの友達、先輩、後輩に会えました。一人ひとり会うたびに当時の記憶がよみがえり、懐かしさと嬉しさ、そして自分にとってかけがえのない存在でいてくれることに感謝です。
恩師では結婚式会場にいた「るんびにぃ保育園」のミキ先生と園長先生を始め諸先生方。
新婦の里奈ちゃんの職場らしく、自分も卒園者です。まともに会うのは20年ぶりくらいです。結婚式では泣かず、その先生たちに会ったときに号泣しました。
間違いなく「財津か今までに最高にご迷惑をおかけした恩師30人」の中の1人目と2人目です。何も変わってないところ、相変わらず私を「ちからちゃん」と呼ぶところ、自分中に先生の存在が今でもいることが嬉しくて嬉しくてしょうがありませんでした。
そして一次会の披露宴から二次会までの間に中学の頃のバスケットの先生。野中先生に会いに行きました。
自分のアドレスにある「nonaka family」はここからきています。
野中先生は人生の恩師です。
アトランタオリンピック女子キャプテンの原田ゆかさんをはじめ、数々の名選手を世に送り出した名監督で、ひょんなきっかけで弱小中学のコーチをすることになりました。
練習量、質は尋常にあらず、時には中学生の我々が福岡大学の人たちと合同練習までしてました。
そして僕が一番ぶっ叩かれました。不謹慎ですが、世の体罰問題って何だ?ってくらい愛のあるビンタを頬にくらってました。体ごとぶっ飛ぶくらいの一撃や、往復ビンタも頂きました。最後のほうになると先生にぶっ叩かれるのが嬉しくなっていました。
「バスケットと通しての人間つくり」を掲げて、バスケ以外に人生において大事なことを沢山教えてくれました。
鬼のように怖く、練習が終わると仏のように優しかった先生。
数年前から病と闘い、去年の暮れに亡くなりました。
葬式には行きませんでした。先生がおっしゃってた
「親が死んだ日でもバスケットの練習をするんだ!!」
の言葉通り、その日は営業に励みました。
先生の仏前にお会いでき嬉しかったです。
…両親とあったのは次の日の朝の20分間ぐらいでしたが、日頃言えてない感謝を伝え、母ちゃんのみそしるだけのんで、ぶっ飛んで愛知に帰ってきました。
まとめ
今の自分を作ったのはそれまで自分に関わって下さった皆様のおかげです。
恩返しは自分に関わって下さる皆様を幸せにすることです。
…僕は、
「関わる全ての人の幸せを追及し、人類、社会の繁栄と発展に貢献します」
という企業理念の会社で働かせて頂いてます。
よし!!!!
行くぞおおおぉぉぉぉぉッッッ!!!!!