雨。

 昨日は仕事だった息子から「今日お墓参り行く?」のメール。そうよね。気になってたんだ。でも、この雨では・・・。

寒いから、娘(息子の)もかわいそうだし。お天気のいい日に変えようか。




 もも、はじめての雨にストレス。おしっこはシートでしたが、「ウンチはここではイヤ。庭に出たい、出たい~」。

 雨にも負けず、用を足したら、そそくさと「お部屋に帰りたい」。

 こんな行儀のいい言葉じゃないかな、今どきの娘だから、「ヤバ―、もらしそう」「ヤバ~、濡れたじゃん」。




 どこにもいない人に会いにゆく。
 きれいな水と、
 きれいな花を、手に持って。

 どこにもいない?
 違うと、なくなった人は言う。
 どこにもいないのではない。

 どこにもゆかないのだ。
 いつも、ここにいる。
 歩くことは、しなくなった。

 歩くことをやめて、
 はじめて知ったことがある。
 歩くことは、ここではないどこかへ、

 遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
 どんどんゆくことだと、そう思っていた。
 そうでないということに気づいたのは、

 死んでからだった。もう、
 どこにもゆかないし、
 どんな遠くへもゆくことはない。

 そうと知ったときに、
 じぶんの、いま、いる、
 ここが、じぶんのゆきついた、

 いちばん遠い場所であることに気づいた。
 この世から一番遠い場所が、
 ほんとうは、この世に

 いちばん近い場所だということに。
 生きるとは、年をとるということだ。
 死んだら、年をとらないのだ。

 十歳で死んだ
 人生の最初の友人は、
 いまでも十歳のままだ。

 病に苦しんで
 なくなった母は、
 死んで、また元気になった。

 死ではなく、その人が
 じぶんのなかにのこしていった
 たしかな記憶を、わたしは信じる。

 ことばって、何だと思う?
 けっしてことばにできない思いが、
 ここにあると指すのが、ことばだ。

 話すこともなかった人とだって、
 語らうことができると知ったのも、
 死んでからだった。

 春の木々の
 枝々が競いあって、
 霞む空をつかもうとしている。

 春の日、あなたに会いにゆく。
 きれいな水と、

 きれいな花を、手に持って。

 (長田 弘 「花を持って、会いにゆく」)