7年前に亡くなった友人(肺気腫でした)のブログを読み返してみた。
 第一にはマメだな~。ほぼ毎日の書きこみ。
 病気で倒れた時、「ね、代わりに更新してくれない?」と頼まれた。「ダメ、ダメ。書く内容、すごい違うじゃん」。
 このマメさ。ブログへの執着ではありません。優しさから来てるのです。多分、本人はそう思気づいてはいなかっただろうけど。

 「病気になってわかったことは、『ねばならない』がなくなった」なんて、殊勝なことを書いていますが、もともと、そういう、『ねばならない』なんてしがらみがない人で、そういう縛られた世界を嫌い、「ねばならないからの解放」なんて講演で話していたくらい。
 これはひとつのメッセージ。「ほら、こういう状況(余命6か月宣告)で言ってるんだから説得力あるでしょ」。それもまた優しさです。辛かろうということに、よそ見しているふりをして、しっかりと手を差し伸べてくれる。

 7年前に、こう言えばよかった・・・と思いつつ、いやいや、わかっていたはず。だって私たちシンクロしてたから。


 夫が亡くなって、おかしくなっていた私に、台湾からもインドからも(そういうところに行くのが仕事だったので)、日本にいるときはもちろん、ほぼ毎日電話をくれた。特に調子が悪い時、精神安定剤を飲んだ私が「40分くらいで効いてくる」と言えば、その40分、インドは暑いの、台湾は旨いの、犬の散歩は面倒だのと、眠くなるまで話してくれた。

 原民喜が死を覚悟して友人に送った手紙のひとつに「あなたは元気に生きていってください」。
 友人が余命か月の宣告をされたその日、同じことを伝えてきた。

 あなたは愛の人。