「渚を遠ざかっていく人」(長田 弘)
波が走ってきて、砂の上にひろがった。
白い泡が、白いレース模様のように、
暗い砂浜に、一瞬、浮かびでて、
ふいに消えた。また、波が走ってきた。
イソシギだろうか、小さな鳥が、
砂の上を走り去る波のあとを、
大急ぎで、懸命に追いかけてゆく。
波の遠く、水平線が、にわかに明るくなった。
日がのぼって、すみずみまで
空気が澄んできた。すべての音が、
ふいに、辺りに戻ってきた。
磯で、釣り竿を振る人がいる。
波打ち際をまっすぐ歩いてくる人がいる。
朝の光につつまれて、昨日
死んだ知人が、こちらにむかって歩いてくる。
そして、何も語らず、
わたしをそこに置き去りにして、
わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。
死者は足跡ものこさずに去ってゆく。
どこまでも透きとおってゆく
無の感触だけをのこして。
もう、鳥たちはいない。
潮の匂いがきつくなってきた。
陽が高くなって、砂が乾いてきた。
貝殻をひろうように、身をかがめて言葉をひろえ。
ひとのいちばん大事なものは正しさではない。
なにが一番大事なのだろう?と考えてみる。「正しさ」はすでに除外された。
「正しさ」は、言葉になるとともかく鬱陶しい。これは「もの」の名ではなし。「もの」が大事、というのではない、つまりは「いのち」が湧き出ないということにおいて。
なにが一番大事なのだろう? それは誰にとって? 「ひと」である。「ひと」とは? 集合として、あるいは個体としてでは発想は変わるのだろうか。発想は変えられて然り、なのだろうか?
死者たちから受け取ったものはなんだろう・・・。
波が走ってきて、砂の上にひろがった。
白い泡が、白いレース模様のように、
暗い砂浜に、一瞬、浮かびでて、
ふいに消えた。また、波が走ってきた。
イソシギだろうか、小さな鳥が、
砂の上を走り去る波のあとを、
大急ぎで、懸命に追いかけてゆく。
波の遠く、水平線が、にわかに明るくなった。
日がのぼって、すみずみまで
空気が澄んできた。すべての音が、
ふいに、辺りに戻ってきた。
磯で、釣り竿を振る人がいる。
波打ち際をまっすぐ歩いてくる人がいる。
朝の光につつまれて、昨日
死んだ知人が、こちらにむかって歩いてくる。
そして、何も語らず、
わたしをそこに置き去りにして、
わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。
死者は足跡ものこさずに去ってゆく。
どこまでも透きとおってゆく
無の感触だけをのこして。
もう、鳥たちはいない。
潮の匂いがきつくなってきた。
陽が高くなって、砂が乾いてきた。
貝殻をひろうように、身をかがめて言葉をひろえ。
ひとのいちばん大事なものは正しさではない。
なにが一番大事なのだろう?と考えてみる。「正しさ」はすでに除外された。
「正しさ」は、言葉になるとともかく鬱陶しい。これは「もの」の名ではなし。「もの」が大事、というのではない、つまりは「いのち」が湧き出ないということにおいて。
なにが一番大事なのだろう? それは誰にとって? 「ひと」である。「ひと」とは? 集合として、あるいは個体としてでは発想は変わるのだろうか。発想は変えられて然り、なのだろうか?
死者たちから受け取ったものはなんだろう・・・。