なんとなく、古い本を引っぱりだして、つらつらとめくっていると、ある個所で手がとまった。
 本は「生きるヒント」(五木寛之)。420円。最近は文庫も高いから、こんな値段が懐かしい・・・でもこれ古書店で買ったはず。エッセイとはいえ、ハウツーもの思わせるタイトルだから、新刊では買わないなあ。このほうが売れるんだろうけど、情緒ないもん。

 は、さておきだ。「知る」ということへの一文である。
 駒尺喜美というフェミニズム運動にたずさわっていた近代日本文学の研究者(2007年没)の本から引用しつつの内容。

  それは一般に「纏足」といわれる古い中国の風習についての話しですが、私たちは纏足を単に包帯のような布切れを幼女の足にぐるぐる巻いて成長を止め、大人になってもまるで子供の足のような小さな形にしてしまう、そういうものとばかり思っていました。そこに見られるのは、女性を愛玩物として弱者の位置に固定しようという男性社会の奇矯な発想ですが、ぼくがおどろいたのはその纏足がどんなふうに行われるか・・・
 纏足というのは、じつは柔らかな幼児の足を布切れで固く巻いて成長を止めてしまうという生やさしいものではないらしい・・・幼いときに足の指を手術して人為的に足指をうしろへ折り曲げてしまうのです。つまり人工的な身体障がい者として女の子の足を奇形にかえてしまう、そういう風習であったらしいのです。
 ・・・
 纏足という言葉になにか耽美的な、奇妙な魅力さえ感じてしまいかねない、そんな危うい気持ちがこちらの内側にはあったのです。

 
 知らないゆえの感じ方・考え方、知ってからの感じ方・考え方を「纏足」を例にしたもの。もっと疑い深くならねばならない。固定観念や予備知識が、かえって「知る」を妨げることも警戒している。
 いや~ますます、そうなんだ。
 情報って、めちゃくちゃな量がめちゃくちゃなカタチでやってきているから。
 長生きなんてリスクです。孤独は認知症を引き起こしやすいです。炭水化物は健康の敵です。自己責任でお願いします。なんてね。
 妄言、虚言、暴言、放言・・・etc.

 ではこのへんで。
 妄言多謝。