副題に「人はなぜ「なぜ」と問うのか」。「カントはこう考えた」(石川文康 筑摩書房)
書棚に見つけ。ふっと思い出した。
随分前のある日のこと。
私は落ち込んだ気分を救いたいと、友人でもある医者を訪ねた。
それは友人としてではなく、患者として。
私に、具体的な原因となるものがあるのかないのか、を彼は詮索しなかった。医者としてではなく友人として接してくれたからだ。
本当は私自身、彼を友人である医者として訪ねたのでもあるし。
そこで彼が私に処方してくれたのが本書である。おもしろいでしょう? 処方薬だもの。
文中にある。
「人間の理性はある種の認識において、特殊な運命を持っている。すなわちそれは、理性が退けることもできず。答えることもできないような問いにわずらわされるという運命である。退けることができないのは、そのような問いかけが理性の本性によるからである。答えることができないのは、そのような問いが理性能力の限界を越えているからである」。
その極限に「自由」はあるという。
書棚に見つけ。ふっと思い出した。
随分前のある日のこと。
私は落ち込んだ気分を救いたいと、友人でもある医者を訪ねた。
それは友人としてではなく、患者として。
私に、具体的な原因となるものがあるのかないのか、を彼は詮索しなかった。医者としてではなく友人として接してくれたからだ。
本当は私自身、彼を友人である医者として訪ねたのでもあるし。
そこで彼が私に処方してくれたのが本書である。おもしろいでしょう? 処方薬だもの。
文中にある。
「人間の理性はある種の認識において、特殊な運命を持っている。すなわちそれは、理性が退けることもできず。答えることもできないような問いにわずらわされるという運命である。退けることができないのは、そのような問いかけが理性の本性によるからである。答えることができないのは、そのような問いが理性能力の限界を越えているからである」。
その極限に「自由」はあるという。