先週、東京から友人がやってきた。仕事での出張。研修を行うという。
知り合って、20年近くになるのだろうか。彼女を紹介してくれたのは私の夫。「きっと気があうと思う」。
で初対面は、本を作る仕事で(著者が彼女で編者が私)東京で。私が依頼側として会いに行ったわけだが、新幹線で読み終えた本をたまたま手渡し・・・。
「ね、私のこと知ってて?」と奇妙な質問を受けた。
「どういうこと?」
「この人と同じ境遇にあるってこと・・」。
それは辛いことだった。むろん、そのとき知るはずもなく、なんだかとっても申し訳ないことをした。でもそれがきっかけ。
彼女と私をつなぐのは、もうひとりSさんという人。この人が夫に彼女を紹介したのがそもそもだから。
Sさんは、昨年亡くなった。奥さんから入っていた留守電で知った
「ああ、これで楽になったかもしれない・・・」心境は複雑だった。
Sさんが亡くなってから、彼女に会うのはこれで3度目だが、そのたびにSさんが夢に現れる。
だから先週も。すこぶる元気そうに現れた。
「え?奥様から訃報の電話をいただいて・・」
「最近、嫁さん、認知症気味で、わけのわからんことを言っているらしい」
「ま。びっくり。なんだ。生きてるんだ」
「そういうこと」
でも、夢なんだ・・・。
Sさん・・・こんな人。2009年のブログから・・・。
作家で評論家というSさんに大層かわいがられた。
東京から取材で来られたSさんを誰かの代理で、駅まで車でお迎えに行ったのが初対面。すぐに打ち解けて、その日のうちに仲良しになった。私とはふたまわり近くの年齢差がある。私の父より、3つ4つ若い。
当時、私は車の免許をとったばかりで、交通量の多い市街を走るのも、まだ二回目か三回目というおぼつかなさである。後ろには保育園児だった息子を乗せていた。子供の歳を尋ねられたとき、Sさんにも私の息子よりひとつ年上の息子さんがいると聞かされた。
「君は運転する時、ミラーなんか見るの?」
前屈みの姿勢で緊張しきっている私に、隣からそう声をかけてくる。
「大丈夫。ちゃんと、見てますから」
てっきり、私の運転が不安なのだろうと思い、精一杯はっきりと返事をした。すると、
「えらいな~、君は」
とくるのだ。
何年かして彼の運転する車に乗せてもらう機会があった。それで納得した。飛ばすのだ。とにかく、飛ばすのだ。後部座席に山と積まれた雑多な本や原稿や書類やが、時々前の座席まで飛んでくるくらい、夜の東京を平然と疾走するのである。
「先生、ミラー、見てますか?」
「そんなもの見ないさ」
命からがらである。
ある夜、私はこのSさんにいたずらをした。
夜も十時を回っていただろう。仕事部屋に電話をかけて
「こちら、Mホテルでございますが・・・」
と切り出した。もちろん声色を使ってだ。
彼はそのホテルが大のお気に入りで、週に何度もラウンジでお茶を飲むことを知っていた。
上京した時、そこで待ち合わせてフランス料理をごちそうになったこともある。あれはロビーに、見上げるほどのクリスマスツリーが飾ってあった季節。さわってごらんとSさんにそそのかされて、私は軽い感電をしてしまった。
「なにかね」
「先日いらっしゃった折、お帽子をお忘れになられたようで・・・」
「いや、帽子を忘れた覚えはない」
「先生がおすわりになられていたお席に残っておりまして・・・」
「私ではない。なにかの間違いだろう」
そっけない返事がかえる。
一瞬、私は言いよどんだふりをしながら、
「実は・・・そのお帽子の中に・・・とんでもないものが入っておりまして・・・」
いきなりSさんの声のトーンが変わった。
「なにかね、それは」
「とても・・・電話では申し上げることができないようなお品で・・・」
すると突然、
「私のものかもしれない。明日にでも受け取りに行こう」。
じっと笑いを我慢していたが、こらえきれずに私は正体を現した。
「せんせ~い、私ですよ~」
「はあ~? なんだ、君は。こんな時間に一体なにをやっているのかね」
「帽子の中身、なんだと思った?」
「そりゃあ、ピストルか麻薬しかないだろう」
と言ううちに、Sさんは自分の発言に笑い出してしまった。
「アフリカに行かないか」
と誘われたこともある。
「サバンナで一緒に朝日を見ようじゃないか」と言う。
いかつい顔でぼさぼさ頭のSさんとふたり、サバンナの大地に座りこみ、巨大な太陽が昇ってゆくのを眺める様を想像すると、それは大いなる幸福であるようにも思われる。
「君が帰りに妊娠でもしていれば、それはそれでまたいいんじゃない?」
ふたりして同時に大声で笑い出す。
パソコンが出来ないので、「君がそばにいたらなあ」と言われたことがある。
私の下手な文章を読んで「僕がそばにいたらなあ」と言われたこともある。
Sさんが仕事部屋を引き払い、自宅に引きこもって、もうどのくらいになるだろう。
7年も8年も過ぎただろうか。鬱病との長い長い格闘生活である。
彼の中には、遠い過去の二度にわたる壮絶な出来事が、おさまりきれないままに今も潜んでいる。
それをここに記すだけの勇気が、私にはない。
一度だけお会いした奥様はどうされているか。
二十歳を超えた息子さんは、どんな青年になっているだろう。
冬のある日、どうせ出てくれないだろうと思いながらも電話をした。
知りたいこともある。
知らせねばならないこともある。
何度かコールを繰り返して諦めかけた時、受話器から懐かしい声が聞こえた。
「おう、君か。元気にしているか。旦那と息子も元気でやってるか」
元気でなさそうな声が、私の元気を気遣ってくれる。
泣きたくなってくる。
そう、いつもいつも「君は元気か?」で始まる会話、そのままだ。
いつか、どこかの遠い地で、朝日の昇る様を一緒に見ることはできるだろうか。
そのときには、空の彼方から、大事な人の弾く「エリーゼのために」が流れてくるに違いない。
知り合って、20年近くになるのだろうか。彼女を紹介してくれたのは私の夫。「きっと気があうと思う」。
で初対面は、本を作る仕事で(著者が彼女で編者が私)東京で。私が依頼側として会いに行ったわけだが、新幹線で読み終えた本をたまたま手渡し・・・。
「ね、私のこと知ってて?」と奇妙な質問を受けた。
「どういうこと?」
「この人と同じ境遇にあるってこと・・」。
それは辛いことだった。むろん、そのとき知るはずもなく、なんだかとっても申し訳ないことをした。でもそれがきっかけ。
彼女と私をつなぐのは、もうひとりSさんという人。この人が夫に彼女を紹介したのがそもそもだから。
Sさんは、昨年亡くなった。奥さんから入っていた留守電で知った
「ああ、これで楽になったかもしれない・・・」心境は複雑だった。
Sさんが亡くなってから、彼女に会うのはこれで3度目だが、そのたびにSさんが夢に現れる。
だから先週も。すこぶる元気そうに現れた。
「え?奥様から訃報の電話をいただいて・・」
「最近、嫁さん、認知症気味で、わけのわからんことを言っているらしい」
「ま。びっくり。なんだ。生きてるんだ」
「そういうこと」
でも、夢なんだ・・・。
Sさん・・・こんな人。2009年のブログから・・・。
作家で評論家というSさんに大層かわいがられた。
東京から取材で来られたSさんを誰かの代理で、駅まで車でお迎えに行ったのが初対面。すぐに打ち解けて、その日のうちに仲良しになった。私とはふたまわり近くの年齢差がある。私の父より、3つ4つ若い。
当時、私は車の免許をとったばかりで、交通量の多い市街を走るのも、まだ二回目か三回目というおぼつかなさである。後ろには保育園児だった息子を乗せていた。子供の歳を尋ねられたとき、Sさんにも私の息子よりひとつ年上の息子さんがいると聞かされた。
「君は運転する時、ミラーなんか見るの?」
前屈みの姿勢で緊張しきっている私に、隣からそう声をかけてくる。
「大丈夫。ちゃんと、見てますから」
てっきり、私の運転が不安なのだろうと思い、精一杯はっきりと返事をした。すると、
「えらいな~、君は」
とくるのだ。
何年かして彼の運転する車に乗せてもらう機会があった。それで納得した。飛ばすのだ。とにかく、飛ばすのだ。後部座席に山と積まれた雑多な本や原稿や書類やが、時々前の座席まで飛んでくるくらい、夜の東京を平然と疾走するのである。
「先生、ミラー、見てますか?」
「そんなもの見ないさ」
命からがらである。
ある夜、私はこのSさんにいたずらをした。
夜も十時を回っていただろう。仕事部屋に電話をかけて
「こちら、Mホテルでございますが・・・」
と切り出した。もちろん声色を使ってだ。
彼はそのホテルが大のお気に入りで、週に何度もラウンジでお茶を飲むことを知っていた。
上京した時、そこで待ち合わせてフランス料理をごちそうになったこともある。あれはロビーに、見上げるほどのクリスマスツリーが飾ってあった季節。さわってごらんとSさんにそそのかされて、私は軽い感電をしてしまった。
「なにかね」
「先日いらっしゃった折、お帽子をお忘れになられたようで・・・」
「いや、帽子を忘れた覚えはない」
「先生がおすわりになられていたお席に残っておりまして・・・」
「私ではない。なにかの間違いだろう」
そっけない返事がかえる。
一瞬、私は言いよどんだふりをしながら、
「実は・・・そのお帽子の中に・・・とんでもないものが入っておりまして・・・」
いきなりSさんの声のトーンが変わった。
「なにかね、それは」
「とても・・・電話では申し上げることができないようなお品で・・・」
すると突然、
「私のものかもしれない。明日にでも受け取りに行こう」。
じっと笑いを我慢していたが、こらえきれずに私は正体を現した。
「せんせ~い、私ですよ~」
「はあ~? なんだ、君は。こんな時間に一体なにをやっているのかね」
「帽子の中身、なんだと思った?」
「そりゃあ、ピストルか麻薬しかないだろう」
と言ううちに、Sさんは自分の発言に笑い出してしまった。
「アフリカに行かないか」
と誘われたこともある。
「サバンナで一緒に朝日を見ようじゃないか」と言う。
いかつい顔でぼさぼさ頭のSさんとふたり、サバンナの大地に座りこみ、巨大な太陽が昇ってゆくのを眺める様を想像すると、それは大いなる幸福であるようにも思われる。
「君が帰りに妊娠でもしていれば、それはそれでまたいいんじゃない?」
ふたりして同時に大声で笑い出す。
パソコンが出来ないので、「君がそばにいたらなあ」と言われたことがある。
私の下手な文章を読んで「僕がそばにいたらなあ」と言われたこともある。
Sさんが仕事部屋を引き払い、自宅に引きこもって、もうどのくらいになるだろう。
7年も8年も過ぎただろうか。鬱病との長い長い格闘生活である。
彼の中には、遠い過去の二度にわたる壮絶な出来事が、おさまりきれないままに今も潜んでいる。
それをここに記すだけの勇気が、私にはない。
一度だけお会いした奥様はどうされているか。
二十歳を超えた息子さんは、どんな青年になっているだろう。
冬のある日、どうせ出てくれないだろうと思いながらも電話をした。
知りたいこともある。
知らせねばならないこともある。
何度かコールを繰り返して諦めかけた時、受話器から懐かしい声が聞こえた。
「おう、君か。元気にしているか。旦那と息子も元気でやってるか」
元気でなさそうな声が、私の元気を気遣ってくれる。
泣きたくなってくる。
そう、いつもいつも「君は元気か?」で始まる会話、そのままだ。
いつか、どこかの遠い地で、朝日の昇る様を一緒に見ることはできるだろうか。
そのときには、空の彼方から、大事な人の弾く「エリーゼのために」が流れてくるに違いない。