「着物を高く買い取りますってチラシが入ったから、電話してきてもらったら、まあ10枚出して、ただ同然」。
 ある会合でそんな話が出た。「長年集めていた記念切手も、全然価値なしだった」と話が加わった。
それで、私もつい、「先日、本を200冊くらい古書店にもっていって、7000円。これでも高いほうだと思う」と話を追いかけた。


 すると「あなたは本に対して、どういう考え方をしていますか。わずかでも自分のためになったなら、安いとか高いとか、そういうことはどうでもいいのじゃないですか」。
 
 
 え? そういう話なわけ? お調子に乗った自分を悔やんだ。黙ってりゃよかった。なんで、本だけ別格にするの? たかが趣味じゃない・・・などと挑発的なことも言えず・・・はあ、そうですね。
 その人、周りから「さすが」「大学の先生ですか?」と褒められていた。それはそれで恥ずかしかっただろうな。私のせいで。気の毒だ。
 
 本を読むのは楽しい。その厚さにくらべようもなく分厚いものをもらう。全部が全部じゃないだろう。互いの相性というものもあって。好き嫌いもあって。
 とはいえ、読みたい人が読めばいい。
 着物も着たいひとが着ればいい。冒頭に着物が出たついで。


 
 私、ホント、ステレオタイプなものの見方、考え方しかできない。応用力に欠ける。だから、「ドキッ」とするんだ。
 

 
 「選択肢の多いことが自由度の高さ」なんて、言ったりする。
 そんなことを真面目に信じているわけでもないのに。自由には、そういう側面もあるけれど。人が生きるというとき、そういう断定的な言いようの中に、どんな「真実」があるというのだろ・・・。
 トホホ。第一に、物知り顔でそんなことを言う自分の愚かしさをわきまえろという話だ。

 
 ああ、自己嫌悪。将棋なんて、全然強くならないし。唐突ですが。俳句と一緒。私の俳句はもう笑いの渦だ。下手もほどほどにしなさいっていうくらい。過去、俳句が好きという人、俳句をやっているという人、3人が3人して「なんで、こうもひどいんでしょうね」「文章書けるくせに、まあ」。

 絵もひどい、楽器はできない。
 口が過ぎる。
 反省しない。
 風呂は短い。
 謙虚さに乏しい。
 アイロンがけは嫌い。
 酒は飲む。大いに飲みたい(大いにはもう飲めないが)。
 友達は少ない。
 漫然としている。
 落ち着きがない。
 掃除もテキト~。
 料理もテキト~。
 ときに人をバカにする。
 自分がイヤになると口をきかない。(きけない、だけど)
 お金が欲しい。
 かまってほしい。
 まだまだ、生きたい。
 死にたく、ない。
 
  

 こんな列挙が、もうすでに言い訳じゃん。言い訳なら、きっと100万も見つかるぞ。根気があれば。
 
 


 なにかに属そうとした自分の弱さを考えなさい。それで安心しようとしたからだ。
 もういい加減、ひとりでもきちんと生きるということを身につけなさい。