欲しい本があって久々に街に出かけた。
面倒くさがりの私は、まず、こじんまりの書店に。探すの楽そうだけど、割と揃えてありそうで。人文系2階とある。人文とあるなら、ま、あるだろう。新しい本だし・・・。
え?前は、専門書ももっとあったはずの書店だったが・・・人文だの社会だの理工学だのとは期待していないけれど、圧倒的に、その手の本が少なくなっている。残念。
向かうは、「丸善」。ジュンク堂と一緒になって再オープンした。県内最大規模の売り場面積。
ビルの7・8階。たどりつくまでにヤマダ電機とユニクロが占めている。それだけのことを面倒と感じる。私にな~んも関係ないのに。さらに言えば、広すぎる、機能的過ぎる。機能的であることは美しいけれど、なんだろうね・・・文句の出どころは。
岸 政彦「断片的なものの社会学」(朝日新聞社)
アマゾンのお世話になって内容説明
「路上のギター弾き、夜の仕事、元ヤクザ……人の語りを聞くということは、ある人生のなかに入っていくということ。 社会学者が実際に出会った「解釈できない出来事」をめぐるエッセイ。」
ライフストーリーものが好きだから、上原隆もいい。
どこにでも生きている人がいて、そこらじゅうに人生があって、毎日毎時、ものごとは進み、傍らでは毎日毎時、なんということもなく流れるものがあり、堆積しては消えていく。それだけのこと。それだけのことでも、それだけのことではなく・・・。
生き方、とか生き様、なんていうのとはまた違う、「方」「様」じゃないから・・・。生きてある、だけで、そのカタチ・・・カタチでもないか・・・。
こういうインタビューの場合、聞き手と語り手の相互作用による共同制作というのがしばしば、問題化されるけれど、読み物を欲している私には、関係なく。
それにしても、人の話というのは、聞いてみないとわからないものだ、とつくづく思う。
そういう場面に遭遇することがたびたびだ。
口数の少ない父であったが、もっと話を聞けばよかった。
大好きであった母からは、母の人生、丸ごとを聞くべきだった。母というのは永遠に生きていると思い込んでいたバカ娘。
余命宣告の中で生きていた友達には、遠慮せず、死を見ながら生きるとはどういうことですか、と素直に問えばよかった。拒むことはなかったろうに。むしろ、生と死を身をもって教えてくれたに違いない。
私は、最後の最後、友達の生きてあることの大きなものを取り逃がした。
悔しいと思う。
友達も、当人でもないくせに余命宣告なんかにたじろいで、「そっとしておく」なんて、侮るなよと悔しがったかもしれない。
いのちを諦めたのは、彼ではない。友達の、私・・・。友達のくせに。
本を読もうか。
面倒くさがりの私は、まず、こじんまりの書店に。探すの楽そうだけど、割と揃えてありそうで。人文系2階とある。人文とあるなら、ま、あるだろう。新しい本だし・・・。
え?前は、専門書ももっとあったはずの書店だったが・・・人文だの社会だの理工学だのとは期待していないけれど、圧倒的に、その手の本が少なくなっている。残念。
向かうは、「丸善」。ジュンク堂と一緒になって再オープンした。県内最大規模の売り場面積。
ビルの7・8階。たどりつくまでにヤマダ電機とユニクロが占めている。それだけのことを面倒と感じる。私にな~んも関係ないのに。さらに言えば、広すぎる、機能的過ぎる。機能的であることは美しいけれど、なんだろうね・・・文句の出どころは。
岸 政彦「断片的なものの社会学」(朝日新聞社)
アマゾンのお世話になって内容説明
「路上のギター弾き、夜の仕事、元ヤクザ……人の語りを聞くということは、ある人生のなかに入っていくということ。 社会学者が実際に出会った「解釈できない出来事」をめぐるエッセイ。」
ライフストーリーものが好きだから、上原隆もいい。
どこにでも生きている人がいて、そこらじゅうに人生があって、毎日毎時、ものごとは進み、傍らでは毎日毎時、なんということもなく流れるものがあり、堆積しては消えていく。それだけのこと。それだけのことでも、それだけのことではなく・・・。
生き方、とか生き様、なんていうのとはまた違う、「方」「様」じゃないから・・・。生きてある、だけで、そのカタチ・・・カタチでもないか・・・。
こういうインタビューの場合、聞き手と語り手の相互作用による共同制作というのがしばしば、問題化されるけれど、読み物を欲している私には、関係なく。
それにしても、人の話というのは、聞いてみないとわからないものだ、とつくづく思う。
そういう場面に遭遇することがたびたびだ。
口数の少ない父であったが、もっと話を聞けばよかった。
大好きであった母からは、母の人生、丸ごとを聞くべきだった。母というのは永遠に生きていると思い込んでいたバカ娘。
余命宣告の中で生きていた友達には、遠慮せず、死を見ながら生きるとはどういうことですか、と素直に問えばよかった。拒むことはなかったろうに。むしろ、生と死を身をもって教えてくれたに違いない。
私は、最後の最後、友達の生きてあることの大きなものを取り逃がした。
悔しいと思う。
友達も、当人でもないくせに余命宣告なんかにたじろいで、「そっとしておく」なんて、侮るなよと悔しがったかもしれない。
いのちを諦めたのは、彼ではない。友達の、私・・・。友達のくせに。
本を読もうか。