行ったり、来たりする心に惑わされているのは、心、それ自体。
 所詮? 心はそういうものだ。
 心は、死ぬことだってあるし、それがまた生き返る事もあり。
 心はそういうものだ。あてにはならない。一時の感情で支配され、いっぱいいっぱいに膨らんで、爆発すると、一挙に萎えてしょげ返る。
 心なんか、そんなもんだ。

 だから、心など(思考など)あてにするなと、宗教者は言う。
 そこに、実存はないんだよ。

 「心が難問になるのは、思考というものをあまりに内面深く取り込んでしまい、彼らは訪問者であって、来てもまた去るのだというその距離を完全い忘れてしまっている」。

 「訪問者のほうに焦点を合わせないこと。あるじに根をおろしているのだ。訪問者は、来てもまた去っていくだろう。もちろん性の悪い訪問者も、いい訪問者もいる。
 しかし、あなたがそれを気に病むことはない。良いあるじいというものは、あらゆる客を同じようにもてなすものだ。どんな差別もせずに―――」。

 心も思考も難儀である。

 「ただ醒めてあるという、まさにその現象そのもの ただそれだけが踏みとどまる」。

 「客」であるなら親切にするに越したことはないか。わがままな客でさえ、なければ。それが一番の問題でもある・・・が。

 PS.
 街のど真ん中に「ドンキホーテ」が出来た。滅多に街にも行かないけど。なんだか、とっても「荒廃している」。文化的な意味合いだけど、これって偏見だろうか。あの場所、もともとはファッションビルで、それも縁はなっかたけれど、次にヤマ○電機に変わった。その時点でも、ガックリきたが、今や「ドンキホーテ」。悲しい。