立冬も過ぎたから「寒太郎」ももうじきやってくるだろう。「猛犬います」なんて張り紙してたら、寒太郎は逃げていくかな。チェリーの姿をちらりとでも見られたら、はったりだと即バレバレだけど。かやつ、最近、寝てばかり。暑さが去って、食欲は旺盛。食べたら寝るの繰り返し、牛になる日も遠くないのか。
まてまて。チェリーのことは人ごとではなし。我が身を思えば、やせっぽちの牛になっても致し方ないかも。まるで使い道なさそうだけど。
昔、父の里でも母の里でも牛を飼っていた。あれは耕作用だったな。母の里では花田植えという行事があり、その時は、牛も着飾られていた。
ある時、牛舎の柵にもたれて牛を見ていたら、柵が外れてしまった。あっと思って怖くなり、走り出した途端、牛が追いかけてきた。逃げれば逃げるほど向こうも追い回す。私は悲鳴をあげ、震えながら駆け回った。なにごとかと母屋から出てきた”大工さん”が取り押さえてくれたが、今思えば、きっとたいしたスピードでもなく、両者ともども、のろのろとした動きではなかったろうか。
”大工さん”はその名?の通り大工をしていた人で、祖父か祖母の遠縁にあたり、他に身よりがないからと母の里で暮らしていた。私が小さい頃に、もうおじいさんだった。生涯独身で、仕事と言えば、母の実家の手入れをしていた。
みんなが大工さんと呼んでいて、本当の名前を聞いたことがない。子供好きで、かわいがられた。忙しい訳でもないから、母の里に行くと、子守りのように遊んでくれた。口数の少ない人だったが、敏感な子供には大工さんの優しさがよく分かった。尊大で威張りたがりの祖父よりも、ずっと近しい存在だった。
あの人は山火事のとき、消火作業を手伝っていて火事に巻き込まれて亡くなった。病院に運ばれたとき、母に連れられて行ったが、もう手遅れだった。大工さんがいなくなったと大泣きしたことを覚えている。私にとってはじめての「死」との直面だった。
あれから何年経ったろう。
母の里を訪ねることも、もうない。数年前、祖父母のお墓と、大工さんのお墓に参ったのが最後。記憶をたどりながら、山道を登っていった。祖父母の墓は大きいけれど、大工さんのものとおぼしきお墓は悲しいくらい小さかった。
昔、母がしていたことを思い出した。「熱かったでしょう」と声をかけながら、お墓にたっぷりの水をかけていた。それを真似た後、手を会わせた。
見下ろすと、母の実家が見えた。人の絶えた家は朽ち果てるのを待つように、ただあるだけだった。
まてまて。チェリーのことは人ごとではなし。我が身を思えば、やせっぽちの牛になっても致し方ないかも。まるで使い道なさそうだけど。
昔、父の里でも母の里でも牛を飼っていた。あれは耕作用だったな。母の里では花田植えという行事があり、その時は、牛も着飾られていた。
ある時、牛舎の柵にもたれて牛を見ていたら、柵が外れてしまった。あっと思って怖くなり、走り出した途端、牛が追いかけてきた。逃げれば逃げるほど向こうも追い回す。私は悲鳴をあげ、震えながら駆け回った。なにごとかと母屋から出てきた”大工さん”が取り押さえてくれたが、今思えば、きっとたいしたスピードでもなく、両者ともども、のろのろとした動きではなかったろうか。
”大工さん”はその名?の通り大工をしていた人で、祖父か祖母の遠縁にあたり、他に身よりがないからと母の里で暮らしていた。私が小さい頃に、もうおじいさんだった。生涯独身で、仕事と言えば、母の実家の手入れをしていた。
みんなが大工さんと呼んでいて、本当の名前を聞いたことがない。子供好きで、かわいがられた。忙しい訳でもないから、母の里に行くと、子守りのように遊んでくれた。口数の少ない人だったが、敏感な子供には大工さんの優しさがよく分かった。尊大で威張りたがりの祖父よりも、ずっと近しい存在だった。
あの人は山火事のとき、消火作業を手伝っていて火事に巻き込まれて亡くなった。病院に運ばれたとき、母に連れられて行ったが、もう手遅れだった。大工さんがいなくなったと大泣きしたことを覚えている。私にとってはじめての「死」との直面だった。
あれから何年経ったろう。
母の里を訪ねることも、もうない。数年前、祖父母のお墓と、大工さんのお墓に参ったのが最後。記憶をたどりながら、山道を登っていった。祖父母の墓は大きいけれど、大工さんのものとおぼしきお墓は悲しいくらい小さかった。
昔、母がしていたことを思い出した。「熱かったでしょう」と声をかけながら、お墓にたっぷりの水をかけていた。それを真似た後、手を会わせた。
見下ろすと、母の実家が見えた。人の絶えた家は朽ち果てるのを待つように、ただあるだけだった。