悲しみは人の心を深くすると言うけれど、それで幸せになれるのだろうか。
 否、これでは生きる意義が「幸福」にあるという前提のようだ。再びの否。そもそも、幸福とは、どのような状態なのか。

 生きる意義と幸福は同じ土壌の上に位置するのか。それもあやしい。
 ここにきて、またもや否。生きるに意義は必要なのか、と。

 そんな不毛なことを考えているうちに、お昼をとうにまわってしまった。私なんぞに答えは出まい。出て来た答えがその程度。

 難思往生。
 自分の知恵に絶望する者が念仏の知恵に目に向けることと言う。
 「だが、その絶望者は、自分を自分において絶望しているのであり、そこに尚、自分なるものの場が生き残っている」。

 不信心な私には、わかる道理はあまりに少ない。そう、震源地はまさに自分自身なのだから。全くもっていつまでも、女子学生ではあるまいに。堂々巡りのパラドクス。
 ものらにまだ名前がない頃にも、魚は泳ぎ、鳥は飛んでいただろう。

 本日、梅雨の合間の青空が見える。問いかけはもうよそう。