おはよう。
この前も土曜日だったのに、今日も土曜日だ。一日が短いと感じるわけではないし、ひと月をあっと言う間に過ごしている実感もない。
なのに、週だけが、気がつけば「土曜日だ」という具合。
昔は「半ドン」と言ってた。「華金」より先に死語化してしまったけれど。
学生時代の土曜日は心浮き立つ物だった。たった半日早く帰れるだけのこと。でも半ドンは子午線のように一日という球体をふたつに分けた。
スキップしながら家路へと、そんな気分が甦る。小学生の高学年になった頃から、母が働き始めた。その職場も半ドン。私はともかく、母がいれば上機嫌で、ケンカもしたし叱られもしたが、それは瑣末なこと。好きで仕方ないのだから、仕方ない。
運動会で母と踊っている写真などを見返すと、ともかく私は嬉しそう。参観日も、母を待ちわびて、いつも後ろばかりを振り向いた。
結婚して、義母を「おかあさん」と言えなかった。だから「○○さん」と下の名前や子供の頃の愛称とやらで呼んでいた。義母も特に気にする風でもなく、むしろ友だちのようで快く応じてくれた。
義母を「おかあさん」と呼べなかったのは、母に対して申し訳ないような、すまないような気持ちが働いたからだ。おかあさんって、私を生んで、育ててくれた母ひとりでいいと。
そんなことも手伝ってか、義母が認知症になり、それも重度になってグループホームに入所し、いつしか我が子の判別すら覚束なくなっても、私のことは「お友達」とか、「幼なじみ」とまわりに紹介した。「おもしろくて、ヘンな人なの」。そんなことも言っていた。
グループホームは認知症の人たちの自律支援(進行を遅らせるために食事作りなどをスタッフとともに行う)を目的にしている所だが、私は近いこともあって、しょっちゅう通った。だんだん、”顔”になってきて、みんなを集めてお絵描きしたり、ジグソーパズルやカルタで遊んだ。童心にかえっている人がほとんどで、みな優しい顔つきをしていた。
義母は、転んだのを契機に寝つくことが多くなり、持病の糖尿病や高血圧に悩まされ、結局肺炎で入院した。4~5ヶ月入院生活を送り、退院した翌日、誤嚥であっけなく亡くなった。米寿からひとつき半を過ぎて。
亡くなった時、はじめて、私は気がつかないままに「おかあさ~ん」と大きな声をあげて泣いていた。
この前も土曜日だったのに、今日も土曜日だ。一日が短いと感じるわけではないし、ひと月をあっと言う間に過ごしている実感もない。
なのに、週だけが、気がつけば「土曜日だ」という具合。
昔は「半ドン」と言ってた。「華金」より先に死語化してしまったけれど。
学生時代の土曜日は心浮き立つ物だった。たった半日早く帰れるだけのこと。でも半ドンは子午線のように一日という球体をふたつに分けた。
スキップしながら家路へと、そんな気分が甦る。小学生の高学年になった頃から、母が働き始めた。その職場も半ドン。私はともかく、母がいれば上機嫌で、ケンカもしたし叱られもしたが、それは瑣末なこと。好きで仕方ないのだから、仕方ない。
運動会で母と踊っている写真などを見返すと、ともかく私は嬉しそう。参観日も、母を待ちわびて、いつも後ろばかりを振り向いた。
結婚して、義母を「おかあさん」と言えなかった。だから「○○さん」と下の名前や子供の頃の愛称とやらで呼んでいた。義母も特に気にする風でもなく、むしろ友だちのようで快く応じてくれた。
義母を「おかあさん」と呼べなかったのは、母に対して申し訳ないような、すまないような気持ちが働いたからだ。おかあさんって、私を生んで、育ててくれた母ひとりでいいと。
そんなことも手伝ってか、義母が認知症になり、それも重度になってグループホームに入所し、いつしか我が子の判別すら覚束なくなっても、私のことは「お友達」とか、「幼なじみ」とまわりに紹介した。「おもしろくて、ヘンな人なの」。そんなことも言っていた。
グループホームは認知症の人たちの自律支援(進行を遅らせるために食事作りなどをスタッフとともに行う)を目的にしている所だが、私は近いこともあって、しょっちゅう通った。だんだん、”顔”になってきて、みんなを集めてお絵描きしたり、ジグソーパズルやカルタで遊んだ。童心にかえっている人がほとんどで、みな優しい顔つきをしていた。
義母は、転んだのを契機に寝つくことが多くなり、持病の糖尿病や高血圧に悩まされ、結局肺炎で入院した。4~5ヶ月入院生活を送り、退院した翌日、誤嚥であっけなく亡くなった。米寿からひとつき半を過ぎて。
亡くなった時、はじめて、私は気がつかないままに「おかあさ~ん」と大きな声をあげて泣いていた。