山里の春はやうやく猫柳 (虚子)

 こんな季節になると、子供の頃に川岸に見た猫柳が光の中から現れてくるようだ。
 自宅から道一本隔てて、川があった。山陰から流れる河の支流。まっすぐに歩いていくと浅瀬に当たる。猫柳は、向こう岸。短いスカートだから、濡れずに渡れる。川面がキラキラして、芽吹いたばかりの猫柳はまぶしかった。
 ほんの、これしきりの景色なのに、季節ごとに思い出す。

 海育ちの人が海を恋するように、山家育ちは川を懐かしむ。川沿いにしばらく下って歩くと神社があって、大きな松のある公園となる。祭りの時は此処が拠点。サーカス小屋が建つのもここだった。あの土手を何遍歩いたことだろう。ひとりで歩き、ふたりで歩き、三人で歩き、四人でも歩いた。
 
 高校のサボりのときも、よくこの川縁で過ごしたものだ。なにをするというわけでもなく、ぼんやりと川を眺めて夕べを待つ。本を読む事もあった。髪を梳くこともあった。タバコを吸うこともあった。川風は、心地よかった。

 猫柳は花屋にも見られるが、不思議と買おうという気にならない。あれは私の故郷の中にある。
 それももう、遠い記憶の故郷だけれど、今でもふっくりした姿で、キラキラ光ったまま残っている。