一昨日、朝の寒さに思わずストーブを引っ張り出したら、今日の呆気にとられるほど陽気なこと。体が戸惑っている。

 先生はお元気だろうか。暑さ寒さにも気がかりな人。高校時代、古典を習ったM先生のことである。
 卒業以来、30数年の月日が流れ、先生は80の半ばを越えられた。
 M先生は、学校というすべての場所を通して、最も敬愛する先生である。

 先生は図書の担当でもあり、普段は職員室ではなく図書室の一角におられた。始業のベルが鳴ると、先生は背筋を伸ばし、古語辞典を抱えて図書室を出られる。
 私は先生が大好きなのに、先生の授業もサボり、入れ違いに図書室に入る。先生は、擦れ違い様、「ここに居るのか?」と私に一言声をかけて、そのまま教室に向かわれる。
 誰もいない図書室は電気もついておらず、それは、秘密の場所にふさわしかった。

 授業中どんなに生徒が騒いでも一向に意に介さない先生は、生徒が授業を聞こうと聞くまいとおかまいなしで、自分の授業を終えられるとさっさと教室を出ていかれる。図書室に帰って来られてから、私はたびたび先生に紅茶を入れてもらったりした。お昼の休憩時間も先生の部屋をそっと覗いて、おひとりなら入っていく。特にどうということなく、おとなしく先生のそばにいるのだ。

 やはり好きだった先生に数学のS先生がいた。ニーチェを読めと勧められた記憶がある。その先生に、「おまえはいいなあ。M先生と話しができて。あの先生は気に入らないと、僕たち教師にすら口を利いてもくれない」と言われたことがある。
 M先生の部屋で、「出て行け」と追い返されている生徒を見るのも珍しいことではなかった。先生は気難しいのに、案外、人気があったのだ。

 高校を卒業してもしばらくは帰省するたびに学校に先生を訪ねた。
 「土産なんかいらんよ」
 と言われるが、私が持参する気持ちだけの菓子折りに紅茶を入れてくださり、私は先生と一緒にいるだけで、なんだかとても落ち着くのだった。
 大学を出ると就職したが、一年勤めただけで私は職場で出会った人と結婚し、以来、先生のもとから足が遠のいた。

 その代わり、年賀状や書中見舞い、近況報告と、折りにつけてハガキや手紙を書き送るようになった。
 子供が生まれたこと、母が亡くなったこと、父が亡くなったこと、そんな人生の転機やら読んだ本の感想や、思い出話しやら、とりとめのない季節のご挨拶や・・・。
 先生がまた律儀で、必ず返事を送ってくださる。日にちを置かず、それもありきたりの内容ではなく、私が書き送ったことに対して、胸に染みるほどの誠実な文章が、几帳面に罫を自分で入れられたハガキにぎっしりと詰まっているのである。時には封書で。それだから、先生の返信が欲しいがために便りを書くというときもある。

 先生はご自分では覚えておられないかも知れないが、私の恩人である。
 高校生の頃の私は思春期という病にかかっていた。結構、重い病だった。多少本を読んでおり、そのせいか感受性がやたら強く、そんな自分を持てあましていたのだ。
 眠れない時期が長くあった。やせて突き出た頬骨の上で目だけがぎらぎらしていた時は、自分でも気味が悪かった。その反動で、何にも手がつけられないほど眠りこける時期もあった。
 当時、高校の気風はやけに自由で、大きな問題も起こさず、成績さえ全うなら、さぼろうと遅刻しようと、さほど、とがめられなかった。
 田舎の高校とはいえ、進学率が高く、総合選抜までは難関校として知られ、むしろ田舎であることが、プライドを高めてもいた。私の入学時には下火になっていたとはいえ、学生運動の激しさで県下に名を轟かせてもいた。

 そんな事情をよいことに、私はさぼりと遅刻の常習犯であった。
 当然ながら3年を通して成績は下降線の一途を辿った。3年の夏には担任教師から「どうするつもりか」と親が呼び出される始末である。その頃にはさっぱり勉強にも身が入らず、進路など人ごとになってしまっていた。

 高校最後の春休みを目前にしたある日。
 明け方近く雪が降る中を、私はわずかな荷物を抱えて自宅の二階からとびおり、30分ばかりの距離を駅に向かった。ポケットには前夜のうちに母の財布から抜き取った一万円札が2枚入っていた。
 駅までの道をふり返りふり返りしながら歩いていくと、降りしきる雪が街灯に照らされて、まるで幻を見ているようだった。桜並木を覆う雪のきらめき。なんと美しい世界だろうと、私は自分のことも忘れて惚けたように見入ったりした。

 家出はあっけなくその日の夕暮れにはかたがついた。友達に電話したのが親に伝わり、警察に保護されたのである。
 父も母もうろたえていた。母など私の胸ぐらをつかみ、「万一の時は食べてしまうつもりだった」と恐ろしいことを口にした。自分のしたこととは言え、心が壊れてしまいそうだった。
 翌日のことか、翌々日か、私は飛び降りたときにくじいた足をひきずりながら、母に高校まで連れて行かれた。担任教師に報告というかお詫びをするためである。
 思いがけず、M先生が同席しておられた。

 「ああ、帰ってきたか」。
 「先生も私のしたことを知っていたのですか?」
 「僕はあなたのことを、いつも、いつも心配している」

 この一言で散り散りになっていた私の心は救われたのだ。いまでもその時の先生の温かさが胸にこみ上げてくる。

 春休みになると、M先生から自宅に電話があった。出席が不足して単位が出せない。これでは卒業できないぞと言われるのだ。半ば公認だったというのに・・・。そして、卒業したかったら、明日から毎日補習を受けるようにと。
 翌日から私は古語辞典持参で学校に通った。紅茶を入れてもらい、先生とふたりで徒然草を読んでいった。それは実に楽しいひとときであった。
 
 数年前、思い立って先生をご自宅に訪ねた。
 年賀状の文面がこれまでと違って気弱なもので、どうにも気になり、住所を捜して前触れもなく出かけたのだ。
 先生はお留守かもしれない。そんなことを思いながらも、それでも先生に会いに行こうと決めた。
 寒さの残る春の浅い頃だった。
 「先生~、先生~」
 戸口で何度も大きな声を張り上げた。
 奥からのっそり出てこられたのは、痩せて、白髪だが、まぎれもなく先生だった。
 先生は私を認めて
 「おうおう」とうなずかれた後、
 「一体、どうした、なにがあったのだ」と心配顔に変わった。
 「会いに来ました」
 「ほう。そうか。なんだかいつも会っているような気がしていたから、何事かとびっくりしたぞ」。
 やはり先生は私の恩人である。
 
 今日、先生から「謹呈」と記された随筆集が届いた。
 
 扉には
 「わが人生は蝸牛の如し!
  常に殻を背負いてその歩み遅々たり
  ひと塊(くれ)の土ほどの価値なくも
  黙々とひたむきに歩み続ける
  ひとひらの鮮(あたら)しき命求めて---」