おはよう。頭上の空。

母子殺人事件の、(元)少年の実名を表記した本の出版を巡るあれこれ。
昨日、台風情報を見ようとテレビをつけると、ローカル局で街行く人に意見を求める、というようなのをやっていた。
「名前出せ」、の方が多数意見だった。
生番組だから「そのまま」なのだろうが、「殺人おかした人に、プライバシーなんて必要ない」という主張もあった。
昨日、台風情報を見ようとテレビをつけると、ローカル局で街行く人に意見を求める、というようなのをやっていた。
「名前出せ」、の方が多数意見だった。
生番組だから「そのまま」なのだろうが、「殺人おかした人に、プライバシーなんて必要ない」という主張もあった。
本気なの?と耳を疑った。
被告側は上告中だが、まるで世論に押し切られたような、死刑判決。
被告側は上告中だが、まるで世論に押し切られたような、死刑判決。
それはそれとして、実名を公表する事にどんな意義があるのだろう? その名を知ることが誰になにをもたらせるのか? 「社会の正当な関心事」? 名前を知ることが?
確かに28歳になった現在、彼はとうに少年ではないし、「表現の自由」という判で押したような言葉もある。
けれど、私たちは「義務や権利」という枠の中だけで生きる存在ではない。
確かに28歳になった現在、彼はとうに少年ではないし、「表現の自由」という判で押したような言葉もある。
けれど、私たちは「義務や権利」という枠の中だけで生きる存在ではない。
私には、街行く人の「正義感」が怖しい。
決して罪を犯すことはない、と自らを保証出来る人で街はあふれているの?
決して罪を犯すことはない、と自らを保証出来る人で街はあふれているの?
追記;被害者の名前の公表も、必要なんだろうかと「?」を感じてしまう。