2番は1番が欠けると繰り上がって1番になる。
 2番は2番が好きだったから、少し悲しくなるかも知れない。

 2番が1番を抜いても、やっぱり1番になってしまう。
 2番が好きだった2番は、やりすぎたことを反省するかも知れない。

 そんなわけのわからぬことを考えているうちに
 今日は9月の3番目の日。
 1番も2番も、もうよそに消えてる。


 初めて見るように「ランドセル」が新鮮に映る。
 長い夏休みも終わって、2学期になった。
 宿題残して困っている子供、いるだろうなあ。子供の頃は、そういうことで、総てが終わるような気がしたものだ。「たいしたことではない」と気づくまで、結構な年月を必要とした。小学校の6年間、途中で1年の休憩が欲しいくらい、長かった。


 5年生の夏休み、大ケガをした。家の前の川で弟と遊んでいた時のことだ。浅瀬だし、砂地から川の中まで石段があって、メダカすくいや水かけっこや、近所の子供たちのかっこうの遊び場だった。大人の監視も不要な安全な場所・・・大体、いちいち「監視」なんてされもしなかった。
 水の中でキラキラしているものに近づいたら、割れた海苔のビンで、途端に足に違和感を感じたが「痛い」とは思わなかった。突然、川が真っ赤に染まって、私と弟は同時に大声を挙げた。気がつくまで随分時間があったように思うが、多分一瞬の出来事だったろう。
 
 弟は母を呼びに駆け出していった。母は救急箱を持ち出そうとしたらしい。「そんなものじゃダメ。川が血だらけになっている」。

 ケガした足首を何枚ものバスタオルで覆うが、すぐに血を吸って赤くなった。
 私は誰かに抱えられて近くの外科に運ばれた。大きな傷口からは白い骨が見えていた。
 手術の時の局部麻酔の痛かったこと。一体何本の注射をしたのか、痛さに絶叫したことを覚えている。結局24針縫った。自宅と病院が近かったので、入院せずに負われて通院したが、ひとつき以上を寝て過ごした。床ずれの痛さを初めて知った。傷がふさがりかかるとたまらなく痒くて、眠るとかきむしろうとするので、手を結ばれていた。いつ起きても、母は起きていた。

 「歩けなくなるかも知れない」
 そう医者に言われた母は、包帯換えくらいになると、自分で歩いて行くように命じた。足をひきずり、短い距離を長い時間かけて通った。痛くて涙が出た。涙が出ても、母は許さなかった。そのお陰で、私は2学期の終わり頃にはどうにか普通に歩けるように回復した。
 血を見るのが苦手な父は、きれいに治るまで、遂に一度も傷を見られなかった。

 今もはっきりと傷痕は残っていて、寒いときに痛んだりもする。ケガしたほうの足首は逆の足ほど曲がらない。
 
 ときどき傷痕をなでてみる。
 もっと小さな傷痕が、腕とか胸にあればいい・・・。
 いつでもそっとなでられるような、そんな位置に、傷痕が欲しいと思う。

 ケガをするのはこりごりだけど。