『鱈-世界を変えた魚の歴史』 マーク カーランスキー  池 央耿訳/飛鳥新社 1999

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 「中世以来のヨーロッパ漁業史、アメリカ独立戦争、食品工業史、そして現代の環境問題まで、「鱈」を通じて語られる地球のエコロジー。視野の広さと有機的知識の結びつきにより、欧米で「認史認識が改まる」と高く評価された話題の書。タラ料理のレシピ付き。」(「BOOK」データベースより)
 一言でどう説明しよう・・・など煩う必要がない。アクセスすれば、こうして概要が出てくる。インターネットの便利なこと。

 
 副題に惹かれた。「世界を変えた魚」。
 「コッド岬」のネーミングにも不思議な感覚を持っていたから。
 鱈は、日本人にも馴染み深いが、保存用にも便利(干物・塩干しなど)だし、極めて捕獲も容易な魚である。

 かつて、ヴァイキングはこの鱈のお陰で、グリーンランドを征服し、9世紀にはすでにアイスランドやノルウェーに干物工場を建設していた。

 16世紀半ばには、全ヨーロッパで消費される魚の60%は鱈だった。マダラ、コダラ、スケトウダラ、メルルーサ・・・。200を越えるほど種の数も多い。
 漁師達はニューファンドランド(カナダの東海岸)の漁場を目指した。鱈の漁場は、暖流と寒流の出会うところである。
 ニューファンドランドの制覇は、市場の制覇。鱈の利権を巡る熾烈な闘いが始まった。「ゴールド・ラッシュ」ならぬ「コッド・ラッシュ」である。カナダの公用語が英語とフランス語であることに、ひとり納得。(ただし、それが鱈と関係あるかどうか保証できない、つまりは、想像)

 フランスはニューファンドランドを制覇、フランス大西洋岸の「ラ・ロルシェ」はヨーロッパ有数の鱈漁港に育った。

 17世紀になると、砂糖の生産は奴隷の酷使で利潤を上げたが、彼らの食料として供給されたのが不良な塩鱈である。たちまち西インド諸島は不良品を受け入れる市場へと急成長した。
 こうして鱈と、奴隷と砂糖という三角貿易が成立し、アフリカでは奴隷の代価として干し鱈が用いられるようになった。

 その頃、イギリスを逃れたピューリタンの小分子は移住先のオランダで地図を広げ、ある岬に眼をとめた。暖かいメキシコ湾流の影響を受けつつ、水域は冷たいカナダのラブラドル海流の影響を多く受けている。ケープ・コッドは、北アメリカで最初にヨーロッパ人が入った場所の一つである。
 鱈は、入植者が飢えに苦しむような辺境な植民地だったニューイングランドを国際貿易の主力地へと押し上げた。鱈成金たちは、もはや鱈を信仰の対象とすらして崇めるまでになった。

 一方、成金の船主と違い、母船からドーリーと呼ばれる小舟を繰り出して操業する漁師にとって、鱈漁は、凍傷や延縄の摩擦事故、あるいは霧に巻かれておぼれ死ぬなど命がけの労働であった。北大西洋沿岸諸国でどの分野における労働よりも事故による致死率が高いと言われている。

 しかし、近代化とともに、漁獲量は増大。
 いまや昔の伝統的な技法は姿を消し、音波探知機で魚群はさぐりあてられ、トロール船が一円の海域をさらい尽くす。むろん捕獲対象の魚だけに限られない。
 大型鱈の激減と繁殖力の軽減によって、1995年現在ではアイスランドにおける漁民人口は労働人口の5%に過ぎない。
 アイスランドの独立に際しては、鱈戦争までが引き起こされたというのに、カナダの鱈漁はすでに終焉を迎え、絶滅には至っていないが著しい減少が危惧されている。
 
 鱈の歴史は人間の歴史である。

 最後に著者はこう言う。
「・・・クジラ見物はいま観光シーズンの売りものである。捕鯨を生業とする社会に暮らすのと、クジラ見物が商売になるのとでは、大いにわけが違う。人間が自然に抱かれて漁り(すなどり)の生活をしていた時代とこと変わって、いまや自然は娯楽と教育を兼ねた見せ物になり下がっている」。
 

 「コッド岬」
 哀しいかな・・・、それでも、なんとも憧れの響きである。