去年の今日は土曜日だった。
佐賀から友人が来ていた。
本当に久しぶりの再会だった。気持ち的には不思議とそうでもなかったけれど・・・。
もう相当に暑い日が続いていて、
あの夜も、クーラーを付けたり消したりしながら
3人で夜半まで飲んでいた。
あれから1年とは信じがたい。
今日の風は涼しい。
昨夜はミスしてうまく眠れなかったため、明け方までイヤあな気分があったけれど
朝、窓から入ってきた風の、あまりに心地よさに
すっかり体も軽くなった。
・・・はあ? もう午後も1時をまわっているの?
まだ午前中だとばかり・・・
クリシュナムルティは、
「時間とは〈あるがまま〉から離れていく運動」だと言っている。
動機から自由であるためには、確かに時間という観念に過ぎないものは邪魔であるかもしれない。
〈あるがまま〉=実際に起きていること。
それを見守り、それとともに生きるのは、しかし容易くはない。
覚者のクリシュナムルティだって、それは承知のことだもの。
佐賀から友人が来ていた。
本当に久しぶりの再会だった。気持ち的には不思議とそうでもなかったけれど・・・。
もう相当に暑い日が続いていて、
あの夜も、クーラーを付けたり消したりしながら
3人で夜半まで飲んでいた。
あれから1年とは信じがたい。
今日の風は涼しい。
昨夜はミスしてうまく眠れなかったため、明け方までイヤあな気分があったけれど
朝、窓から入ってきた風の、あまりに心地よさに
すっかり体も軽くなった。
・・・はあ? もう午後も1時をまわっているの?
まだ午前中だとばかり・・・
クリシュナムルティは、
「時間とは〈あるがまま〉から離れていく運動」だと言っている。
動機から自由であるためには、確かに時間という観念に過ぎないものは邪魔であるかもしれない。
〈あるがまま〉=実際に起きていること。
それを見守り、それとともに生きるのは、しかし容易くはない。
覚者のクリシュナムルティだって、それは承知のことだもの。