「女子高校生に痴漢や盗撮を繰り返したとして、青森県教委は17日、三戸郡内の公立中学校の男性教諭(39)を懲戒免職処分にした。」
これは昨日のニュース。
手鏡で女性のスカートを覗いた大学教授だの、過去何十年にもわたって買春を繰り返してきた校長先生だのと、近頃はこの手の「先生」の不始末には話題もこと欠かない。情けないと思うのは、やはり教師、先生という職業を単に職業と割り切れない思いがぬぐえないからである。
職業威信というものがあって、世間の評価によるランク付けである。
昨今はIT長者や会社社長、ともすれば個人トレーダーですら儲け次第では、上位になるのかも知れない。バブルは弾けたがカネの記憶は残ったようで、そのせいでもないだろうが、先生というのも、昔ほど尊敬されてはいないようだ。サラリーマン化しているのも確かなようだし、これは暗黙の了解、その上で見ないふり・・・。その割には、不始末に対して過剰反応というのも矛盾と言えば矛盾・・・。
そう言えば私自身、息子が小学校に上がったとき、
「先生の言うことが必ず正しいわけではないから、おかしいと思うことは疑って、自分で考えるように」と言った記憶がある。
世の中が先生に期待をしていた頃にもひどい教師はいた。
夫の小学校の頃の話しを聞くと「リベートのM」なる教師が出てくる。父兄の貢ぎ物?に従って露骨なえこひいきをする先生だったとか。生徒の間でこんなあだ名がついている位だから、えこひいきも相当なものだったのだろう。子供だった夫が傷ついたのはそれよりも、リベートのMが夫のそばを通るとき意地悪く「じいさんの息子」とつぶやく声だったと言う。夫は父親が53歳の時の子供で、当時は、Mの父親よりも年長であったかも知れない。
小学校の時、父兄会(保護者会)のあとの懇親会で、生徒の母親に迫った男性教師がいたと母に聞いたことがある。酒の入ったこととは言え、今なら大問題であるが、近所のよしみか、騒ぎ立てることもしなかった。その分、うわさが広まるのは早く、翌日にはたいていの生徒に知れ渡っていた。
大人になってようやく気づいたこともある。
小学校の同級生だったE君の夢を突然見た。
ああ、彼は、○○という名前だったな・・・と、彼の名前まで、やはり夢のなかで思い出した。
小学生の頃、E君と遊んだ記憶はない。
家も遠かったし、なぜかいつも集団下校する一群の子供たちの一人だった。
中学も同じ学校のはずだが、まるで覚えがない。あるいはどこかに越したのか?
一度もクラス会に出たこともない私が、40数年ぶりに、親しくもなかった彼の夢を見、彼の名前まで思い出したことに、我ながらびっくりした。
色が黒かった。ボウズ頭で、背は低かった。
勉強は出来ないほうだったと思う。
家は川向こうで、焼き肉屋かラーメン屋をやっていたのではなかったか。
E君の登場以外、夢の内容は覚えていない。
しかし夢から覚めて、担任教師が彼を不当に差別していたことに、ハッと思い至ったのである。あれは、何年生の時だったろう? 当時の私はその差別の本意が分からないまま、E君に対する先生の態度をただいぶかしく感じていただけである。
この先生は、週に何度か朝礼の時、ハンカチとちり紙(ティッシュなどなかった)を持っているか、爪と歯をきれいにしているかという検査をしていた。この人独特のものなのか、学校の方針なのかは分からない。
生徒は、机の上にハンカチとちり紙を置き、先生の見回りに合わせて爪が見えるように手を揃えて差し出し、上向きで口を開ける。
ところが、E君の席に来ると必ずと言っていいほど、「歯が黄色い、おまえ歯磨きをしていないだろう。爪も黒い。風呂に入っているか」と、まるで詰め寄るように言うのである。子供に向けた容赦ない態度。
あれは彼が在日朝鮮人という理由での、惨い差別だったろう。今でこそ分かるが、当時の私は、そういう差別の状況を知らなかった。集団下校も、在日や同和問題と結びついていたのだろう。
教室の空気が凍り付くような緊張感の中で、E君の態度はどうだったのだろう? 私は朝礼のこの時間がたまらなくイヤだった。
なんと理不尽で、醜い仕打ちか。
E君の悔しさを分かちえなかった自分に、今頃になって、怖ろしいほどの後悔がこみ上げてくる。
40年を経て、E君の胸のうちを思いながら、私は布団の上でたまらず号泣した。
これは昨日のニュース。
手鏡で女性のスカートを覗いた大学教授だの、過去何十年にもわたって買春を繰り返してきた校長先生だのと、近頃はこの手の「先生」の不始末には話題もこと欠かない。情けないと思うのは、やはり教師、先生という職業を単に職業と割り切れない思いがぬぐえないからである。
職業威信というものがあって、世間の評価によるランク付けである。
昨今はIT長者や会社社長、ともすれば個人トレーダーですら儲け次第では、上位になるのかも知れない。バブルは弾けたがカネの記憶は残ったようで、そのせいでもないだろうが、先生というのも、昔ほど尊敬されてはいないようだ。サラリーマン化しているのも確かなようだし、これは暗黙の了解、その上で見ないふり・・・。その割には、不始末に対して過剰反応というのも矛盾と言えば矛盾・・・。
そう言えば私自身、息子が小学校に上がったとき、
「先生の言うことが必ず正しいわけではないから、おかしいと思うことは疑って、自分で考えるように」と言った記憶がある。
世の中が先生に期待をしていた頃にもひどい教師はいた。
夫の小学校の頃の話しを聞くと「リベートのM」なる教師が出てくる。父兄の貢ぎ物?に従って露骨なえこひいきをする先生だったとか。生徒の間でこんなあだ名がついている位だから、えこひいきも相当なものだったのだろう。子供だった夫が傷ついたのはそれよりも、リベートのMが夫のそばを通るとき意地悪く「じいさんの息子」とつぶやく声だったと言う。夫は父親が53歳の時の子供で、当時は、Mの父親よりも年長であったかも知れない。
小学校の時、父兄会(保護者会)のあとの懇親会で、生徒の母親に迫った男性教師がいたと母に聞いたことがある。酒の入ったこととは言え、今なら大問題であるが、近所のよしみか、騒ぎ立てることもしなかった。その分、うわさが広まるのは早く、翌日にはたいていの生徒に知れ渡っていた。
大人になってようやく気づいたこともある。
小学校の同級生だったE君の夢を突然見た。
ああ、彼は、○○という名前だったな・・・と、彼の名前まで、やはり夢のなかで思い出した。
小学生の頃、E君と遊んだ記憶はない。
家も遠かったし、なぜかいつも集団下校する一群の子供たちの一人だった。
中学も同じ学校のはずだが、まるで覚えがない。あるいはどこかに越したのか?
一度もクラス会に出たこともない私が、40数年ぶりに、親しくもなかった彼の夢を見、彼の名前まで思い出したことに、我ながらびっくりした。
色が黒かった。ボウズ頭で、背は低かった。
勉強は出来ないほうだったと思う。
家は川向こうで、焼き肉屋かラーメン屋をやっていたのではなかったか。
E君の登場以外、夢の内容は覚えていない。
しかし夢から覚めて、担任教師が彼を不当に差別していたことに、ハッと思い至ったのである。あれは、何年生の時だったろう? 当時の私はその差別の本意が分からないまま、E君に対する先生の態度をただいぶかしく感じていただけである。
この先生は、週に何度か朝礼の時、ハンカチとちり紙(ティッシュなどなかった)を持っているか、爪と歯をきれいにしているかという検査をしていた。この人独特のものなのか、学校の方針なのかは分からない。
生徒は、机の上にハンカチとちり紙を置き、先生の見回りに合わせて爪が見えるように手を揃えて差し出し、上向きで口を開ける。
ところが、E君の席に来ると必ずと言っていいほど、「歯が黄色い、おまえ歯磨きをしていないだろう。爪も黒い。風呂に入っているか」と、まるで詰め寄るように言うのである。子供に向けた容赦ない態度。
あれは彼が在日朝鮮人という理由での、惨い差別だったろう。今でこそ分かるが、当時の私は、そういう差別の状況を知らなかった。集団下校も、在日や同和問題と結びついていたのだろう。
教室の空気が凍り付くような緊張感の中で、E君の態度はどうだったのだろう? 私は朝礼のこの時間がたまらなくイヤだった。
なんと理不尽で、醜い仕打ちか。
E君の悔しさを分かちえなかった自分に、今頃になって、怖ろしいほどの後悔がこみ上げてくる。
40年を経て、E君の胸のうちを思いながら、私は布団の上でたまらず号泣した。