出かけようとすると、中学生の下校時にぶつかった。そろそろ夏休みか。
 
 中学生になった最初の中間試験のことを思い出す。
 試験結果が出た頃に、小学校の担任だった先生が、わざわざうちまで成績を尋ねに来られた。それでその時の順位をいまだに忘れもしない。今はないだろうが、昔は学年ごとに順位がついて、私の少し前までは上位何人かを校内に張り出してもいたらしい。
 結果を聞いた時の先生の落胆ぶりを見て、「これはまずかったか」と内心ひやりとした。

 試験には、わざわざ備えて勉強をするものだということを知らなかった。早い下校の意味を考えることもなく、試験勉強に取り組むためなど、まるで思いもよらなかった。なんとも脳天気である。
 結果、最初の試験が3年間で最低の成績。奮起したというより、試験というのがどういうものかをその時教えられたわけだ。 
 私はなんにつけ、こういう性格で、いつも遅れをとってしまう。

 高校に入っても、試験こそは勉強したが、夏休みは、クーラーをつけた部屋で本を読み読み、ひがな一日、のほほんと過ごしていた。美術の課題の油絵を一枚描いた程度である。
 父も母も仕事だし、弟は中学の野球部で日が暮れるまで帰らない。誰にもとがめられることなく、ごろごろしていたのである。
 それが2学期最初の数学の授業で、前触れもなくテストがあった。
 数学は中学校の時から得意だったし、高校の担当の先生も好きで、クラスの女子では一番だった。
 同じクラスに、教頭先生の娘さんがいた。ハキハキして「生徒の見本」のような人なのに、数学が苦手とみえて、テストの度に追試組である。数学なんて式にさえ当てはめれば出来るのに、なんでこんなに出来ないのだろう? そんなことを思っていた。
 
 ところが、40日間を毎日毎日、ぐうたらに過ごした私は、サインもコサインもタンジェントも、きれいさっぱり忘却の彼方。結果、30点という見事な点数で追試を受けるはめになった。追試を受ける中に、教頭先生の子はいなかった。
 
 数学の担任は痩せた男の先生で、ひげが濃いのだろう、首からあごまでがいつも青く、同和教育の担当でもあった。この先生とは仲が良かった。昼休みには職員室までひとりでひょこひょこ遊びに行っていたくらいだし、先生からニーチェを読めと勧められた記憶もある。
 30点で居残りの私に、先生はニヤニヤしながら・・・。
 「おまえ、夏休みに何をしていた?」
 「夏休みだから、休んでいました」
 「おまえは三省堂の国語事典か。みんな、勉強していたんだぞ」
 そう言われてもまだ、
 「え~? みんな夏休みにも学校に来ていたのですか?」と勘違いする有様だ。
 「バカか、お前は」。
 宿題なんかなかったというのに、家で自主的に勉強していたなんて驚き桃の木。
 すごい。

 息子が3歳のとき、死者60数名を出すという大型台風がきた。日本中が大変な被害を受け、広島でも厳島神社の能舞台が倒壊し、広範囲にわたる塩害や停電などで、復旧までは長い時間を要した。
 むろん台風の情報は逐一テレビで見ていた。断水と停電に備えて、風呂に水を張り、懐中電灯を用意するくらいはした。友達から「今のウチにご飯をたいておくのよ」と電話をもらい、ご飯は炊いたが、情けないことに、小さな炊飯器は三合炊きである。
 夕方からいよいよ本格的になるというので、昼を過ぎた頃、息子にカッパを着せて買い出しに行くことにした。外はもうすさまじい風がうなりを上げていた。役にたたない傘を持ち、息子の手をしっかり握って、まずスーパーに向かったが、すでにあらかた売り切れている。「大丈夫?」と見上げる息子の目に「コンビニがあるから」と答えて、コンビニに変更。むろん品切れである。

 トイレットパーパーがなくなる、という時も買い溜めはしなかった。
 米がない、という時もタイ米があると暢気にしていたら、実家の母が心配して送ってくれた。
 こうして、いつも、いつも、遅れをとっているのである。

 では、おまえは鷹揚な性格かと問われると、これがとんでもなく、せっかちである。
 せっかちでいいところは、約束した時間にゆとりを持っていることなのに、家族にはこれも迷惑らしい。
 テニスコートにはたいてい予約時間の15分前には到着している。 
 旅行ともなれば、もっと早い。万一のことがあっては大変と、せかせにせかして、結局、駅の構内で、列車を三つも四つも見送りながら、黙ってじっと待つはめになる。
 パソコンの変換時間が待てなくて、ムダにキーを叩いてはトラブルを引き起こす。
 煮物は中までじっくりと火が入らない。誕生日のプレゼントを、一週間前でも渡したがる。温泉だろうが自宅の風呂だろうが、ゆっくりつかることがない。
 漬物は浅すぎる。人の話を最後まで聞かない。列に並んでまで買うことができないから、うまいものや名物に縁がない。在庫がないのでおとりよせしましょう・・・などと言われた日には、もうさっさと諦めて帰ってしまう。試着の時間を惜しむため、ジャケットは腕が長すぎたり、ズボンは太すぎたり。
 
 スーパーの買い物かごに、買ったばかりの商品を忘れて帰る。
 息子の遠足を一日間違えて弁当を作る。食品と一緒に財布を冷蔵庫に投げ入れる。風呂の栓を外したままお湯を張る。白いシャツが色物に染まる。同じ本を二冊も三冊も買う・・・・。数え上げるときりがない。我ながら呆れ果ててしまう。

 せっかちだから、早とちりも相当である。
 スーパーのチラシを見ていたら、「ジャンボ玉せっけん」の売り出し広告が載っていた。「ジャンボ・玉せっけん」と区切って読んで、大きなボール状のせっけんを想像し妙な気がしたが、よく見ると「シャボン玉せっけん」だった。
 いつだったか、家族三人でドライブの途中、一軒の家の壁に「あんざん そろばん」という看板を見かけた。私はごく普通に
 「ほら。産婆さんがそろばんを教えるとは珍しいねえ」
と2人に向かって声を掛けた。
 すると、夫も息子もまるで睨みつけるように、私のほうを見るのである。なにか気に障ることを言ったのだろうか? 頭の中で「安産・算盤」と変換したまま信じて疑わない私は、「暗算・算盤」なのだと説明されるまで、気づかなかった。
 「考えれば分かるだろう」と息子にバカにされながら、返事のしようもない。

 こうして常々、失笑を買いながら、迷惑がられながら、それでも事故もなく、ちゃんと?生活している。
 ミスタッチくらいでフリーズするようなパソコンを作るな。「あんざん そろばん」くらい漢字で書いとけ。私をあてにせず自分で起きろ。洗濯物はよりわけて投げ込め。ポケットの中身なぞ自分で出しておけ。
 時には言いたいセリフもあるが、天に向かってつばを吐くごとし。
 第一、当の私が面白がって、笑い転げる始末なのだ。

 そんなこんなで、息子は大層用心深い性格に育った。夫も年々寛容な人になっていった。
 いいですか? みんな私のお陰なんですよ。
 
 でももう、せっかちはや~めだ。急がねばならないことはなにもないと、ようやく気づいた。