手元には、初めて母から贈られた本が残っている。
小学校に上がった年の誕生日プレゼントである。もう、地も小口も茶色でページも変色し、表紙の文字もすり切れて読めないが、今も大事に持っている。
「日本児童文学全集15-日本童謡集」(輿田準一編/偕成社)。
学校から帰ると机の上に置いてあった。裏の見返りには達筆な父が、その日の日付と私の名前を万年筆で記していた。
正直、私はその時がっかりしたのだ。物語本であればよかったのにと思ったが、父母の気持ちを無碍にもできず、童謡のために詩人たちが作った言葉を読んでいった。
母は西條八十の「かなりや」が好きだった。
ところが、幼い頃の私は、決まってこの歌が「うしろの 山に すてましょか」まで来ると、「捨てんで、捨てんで」と泣きじゃくってしまうのだそうだ。
尤も私自身に記憶はない。父や母に何度も聞かされた、思い出と言えば思い出話し。
そんなわけで、結局、歌として最後まで聞いたことがなかった。
この本にはその詩も入っていた。
詩と共に、次のようなエピソードがあった。
「ひとりのパパが 赤ちゃんを だいて さんぽして いました。 パパは、ふと、じぶんの 子供の ころを 思い出しました。
----- 靖国神社の ある 九段坂の そばに キリスト教会が あった。 はじめて そこへ おいのりに つれていかれたとき、 天井の たくさんの あかりの 中に 一つだけ ついていない 電燈が あった。つぎに いった ときにも ついて いなかった。 あかりの つくのを わすれた 電燈。そうだ、あの さびしそうな 電燈を うたに して みよう ----------
パパは、この 電燈を かなりやに かえて、「うたを わすれた かなりや」の 童謡に しました」。
野口雨情の「シャボン玉」は、四国を旅行中、二つになった娘さんが疫痢にかかり急死したという報せを受けて出来た詩だと、今では知る人も多い。
「シャボン玉、きえた。とばずに きえた。
うまれて すぐに、こわれて きえた。」
子供が歌うのを聞くと、なおのこと悲しくなる詩である。
金子みすゞの「たいりょう」も載っている。曲がついて歌われていたのだろうか?
長門市の青海島シーサイドスクエアには、みすゞの胸像とともに『大漁』の詩碑が建立されている。
「大漁」
朝やけ小やけだ 大漁だ。
おおばいわしの 大漁だ。
浜は祭りのようだけど、
海のなかでは 何万の
いわしのとむらいするだろう。
もうひとつ、古い本をめくって驚いたのは、谷川俊太郎の詩「ひとくい土人のサムサム」。
もちろん、驚きは、ズバリそのタイトル。
昭和34年の作とある。
小学校に上がった年の誕生日プレゼントである。もう、地も小口も茶色でページも変色し、表紙の文字もすり切れて読めないが、今も大事に持っている。
「日本児童文学全集15-日本童謡集」(輿田準一編/偕成社)。
学校から帰ると机の上に置いてあった。裏の見返りには達筆な父が、その日の日付と私の名前を万年筆で記していた。
正直、私はその時がっかりしたのだ。物語本であればよかったのにと思ったが、父母の気持ちを無碍にもできず、童謡のために詩人たちが作った言葉を読んでいった。
母は西條八十の「かなりや」が好きだった。
ところが、幼い頃の私は、決まってこの歌が「うしろの 山に すてましょか」まで来ると、「捨てんで、捨てんで」と泣きじゃくってしまうのだそうだ。
尤も私自身に記憶はない。父や母に何度も聞かされた、思い出と言えば思い出話し。
そんなわけで、結局、歌として最後まで聞いたことがなかった。
この本にはその詩も入っていた。
詩と共に、次のようなエピソードがあった。
「ひとりのパパが 赤ちゃんを だいて さんぽして いました。 パパは、ふと、じぶんの 子供の ころを 思い出しました。
----- 靖国神社の ある 九段坂の そばに キリスト教会が あった。 はじめて そこへ おいのりに つれていかれたとき、 天井の たくさんの あかりの 中に 一つだけ ついていない 電燈が あった。つぎに いった ときにも ついて いなかった。 あかりの つくのを わすれた 電燈。そうだ、あの さびしそうな 電燈を うたに して みよう ----------
パパは、この 電燈を かなりやに かえて、「うたを わすれた かなりや」の 童謡に しました」。
野口雨情の「シャボン玉」は、四国を旅行中、二つになった娘さんが疫痢にかかり急死したという報せを受けて出来た詩だと、今では知る人も多い。
「シャボン玉、きえた。とばずに きえた。
うまれて すぐに、こわれて きえた。」
子供が歌うのを聞くと、なおのこと悲しくなる詩である。
金子みすゞの「たいりょう」も載っている。曲がついて歌われていたのだろうか?
長門市の青海島シーサイドスクエアには、みすゞの胸像とともに『大漁』の詩碑が建立されている。
「大漁」
朝やけ小やけだ 大漁だ。
おおばいわしの 大漁だ。
浜は祭りのようだけど、
海のなかでは 何万の
いわしのとむらいするだろう。
もうひとつ、古い本をめくって驚いたのは、谷川俊太郎の詩「ひとくい土人のサムサム」。
もちろん、驚きは、ズバリそのタイトル。
昭和34年の作とある。