おはよう。
昨日は、朝こそさわやかだったのに、正午をまわっていきなり暑くなった。
ソファーに横になってうとうとしているうちに、我慢がならずに、眠ってしまった。
首筋にじとっ汗をかいて、ようやくの目覚め。2時間以上も経過している。
近年の、異常なまでの暑さでは、クーラーなしではどうにもならない日もあるが、夏の昼寝は汗ばみながら、深い息をつきつき、寝入ってしまうもの。
意志に関係ない、「体任せ」の自然な「なりゆき」なのである。
和室なら、なおよし?
頬に畳のあとを残して、あまりの暑さに、ため息とともにぼんやりと目覚める・・・。西日の当たる中をぐずぐずと起きだしてこそ、夏の午睡の醍醐味ではないか。ちょっとオーバーかな。
この頃は、真夏でも窓を閉め切っている学校を見かける。クーラーが入っているからだ。そうでもしなければ暑くて勉強どころではないのだろうか。
ところが、建物自体も、温度を上げてくださいといわんがばかりのコンクリートづくり。
卵が先か鶏が先か・・・。
昔の校舎は木造で、えらくガランとしたつくりだった。
思えば、小中高とも階段の幅が、現在の校舎とは比較にならないほどゆったりと広かった。「密度」の低さが「涼」の素かも知れない。冬は寒いが、なんとかなるのだ。
田舎育ちの証でもあるが、教室の窓を開けはなち、下敷きをうちわがわりにする、シャツのボタンを2つくらい外す、そんなことしか暑さをしのぐ手だてがないが、当時はいくらなんでも体温を超すほどの暑さは経験しなかったし。
それでも暑いにかわりはないのだ。集中力は欠如。
「ジージー」と鳴くセミの声を運びながら、吹き込んでくる風のなまあたたかさが、微妙に、眠りへと誘う。徐々に眼がとろけてしまい、遂には机に突っ伏して寝てしまう。この誘惑には抗えない。自然のなりゆきだ。
ある時、「○○」と大声で名を呼ばれた。
思わず顔を上げると、先生が隣で私を見下ろしていた。
反射的に立ち上がったが、なにがおきているのかわからない。・・・ああ国語の時間だったと、思い出した。寝ぼけ眼で、ぼんやりと黒板を眺めると大きな文字で「藤村」と板書してある。
「先生、藤村(ふじむら)さんって、どこの藤村さんの話しですか?」
「バカ。今は、藤村(とうそん)を読んでいるところだ」
ハハハ。笑っちゃいけないのに、あまりにおかしくて笑った。
「顔を洗ってこい」。
素直に教室を出た。体育館前の階段に腰掛けて、膝で頬杖をつきながらウトウトの続き・・・。
今の子供たち、かわいそうなことだ。
夏にクーラーの入った教室じゃ、こんな贅沢な午睡など望むべくもないだろう。
そんなだから、成人式や卒業式に、自ら率先して正装で出席できるんだろうな・・・と飛躍。
友人に聞いた話では、先輩たちが戦いの末、私服通学という権利を勝ち取ったのに、生徒の要望で制服になり、あっさりと「勝利」は放り出された。
卒業式に「仰げば尊しを歌いたい」と、生徒の側から署名活動をした例もあると教えてくれた。
そういえば数年前に大学に行ってたころ、「あいさつをしましょう」とか「ゴミを捨てないで」というプラカードを持った学生をちらほら見かけた。
先生に「あれはなんの罰ですか?」と尋ねると「それがね、生徒が自主的にやっていることなんですよ」。たまげた。
先生に向かって「ため口」をきく生徒にも驚いたし、同じ「ため口」で返す先生にも驚いた。
大学生になって最初に感激したのは、先生が生徒を対等の大人として敬語で話されたことだったというのに。
最近では授業前のチャイムまで導入されたという。(私が卒業し、今は息子が通う大学の話し)。これには先生も生徒もこぞって反対したらしいが、結局大学側に押し切られたらしい。
ついでに言えば、大学生にもなって、子供の成績表を保護者あてに送ってくるのもどういうものか? もう大人なんだから、成績や単位数をいちいち親に「チクる」なよ・・・。おまけに「親展」で。むろん、見もしないし、開封もしない。こんなムダをするくらいなら授業料を下げてくれ。
それとも・・・親からの要望? だとすれば、大学側には、断固はねつけてほしいところだが、チャイムの導入時点で、そんなこと期待してはいけないことは重々承知のはず。
しかし・・・大学生の親となれば、50年代、60年代生まれのはず。それがなんとも不可思議でもあり。
あららら。
また今日も脱線。昼寝の話しがいつしか「自由からの逃走」に変わってしまった。
昨日は、朝こそさわやかだったのに、正午をまわっていきなり暑くなった。
ソファーに横になってうとうとしているうちに、我慢がならずに、眠ってしまった。
首筋にじとっ汗をかいて、ようやくの目覚め。2時間以上も経過している。
近年の、異常なまでの暑さでは、クーラーなしではどうにもならない日もあるが、夏の昼寝は汗ばみながら、深い息をつきつき、寝入ってしまうもの。
意志に関係ない、「体任せ」の自然な「なりゆき」なのである。
和室なら、なおよし?
頬に畳のあとを残して、あまりの暑さに、ため息とともにぼんやりと目覚める・・・。西日の当たる中をぐずぐずと起きだしてこそ、夏の午睡の醍醐味ではないか。ちょっとオーバーかな。
この頃は、真夏でも窓を閉め切っている学校を見かける。クーラーが入っているからだ。そうでもしなければ暑くて勉強どころではないのだろうか。
ところが、建物自体も、温度を上げてくださいといわんがばかりのコンクリートづくり。
卵が先か鶏が先か・・・。
昔の校舎は木造で、えらくガランとしたつくりだった。
思えば、小中高とも階段の幅が、現在の校舎とは比較にならないほどゆったりと広かった。「密度」の低さが「涼」の素かも知れない。冬は寒いが、なんとかなるのだ。
田舎育ちの証でもあるが、教室の窓を開けはなち、下敷きをうちわがわりにする、シャツのボタンを2つくらい外す、そんなことしか暑さをしのぐ手だてがないが、当時はいくらなんでも体温を超すほどの暑さは経験しなかったし。
それでも暑いにかわりはないのだ。集中力は欠如。
「ジージー」と鳴くセミの声を運びながら、吹き込んでくる風のなまあたたかさが、微妙に、眠りへと誘う。徐々に眼がとろけてしまい、遂には机に突っ伏して寝てしまう。この誘惑には抗えない。自然のなりゆきだ。
ある時、「○○」と大声で名を呼ばれた。
思わず顔を上げると、先生が隣で私を見下ろしていた。
反射的に立ち上がったが、なにがおきているのかわからない。・・・ああ国語の時間だったと、思い出した。寝ぼけ眼で、ぼんやりと黒板を眺めると大きな文字で「藤村」と板書してある。
「先生、藤村(ふじむら)さんって、どこの藤村さんの話しですか?」
「バカ。今は、藤村(とうそん)を読んでいるところだ」
ハハハ。笑っちゃいけないのに、あまりにおかしくて笑った。
「顔を洗ってこい」。
素直に教室を出た。体育館前の階段に腰掛けて、膝で頬杖をつきながらウトウトの続き・・・。
今の子供たち、かわいそうなことだ。
夏にクーラーの入った教室じゃ、こんな贅沢な午睡など望むべくもないだろう。
そんなだから、成人式や卒業式に、自ら率先して正装で出席できるんだろうな・・・と飛躍。
友人に聞いた話では、先輩たちが戦いの末、私服通学という権利を勝ち取ったのに、生徒の要望で制服になり、あっさりと「勝利」は放り出された。
卒業式に「仰げば尊しを歌いたい」と、生徒の側から署名活動をした例もあると教えてくれた。
そういえば数年前に大学に行ってたころ、「あいさつをしましょう」とか「ゴミを捨てないで」というプラカードを持った学生をちらほら見かけた。
先生に「あれはなんの罰ですか?」と尋ねると「それがね、生徒が自主的にやっていることなんですよ」。たまげた。
先生に向かって「ため口」をきく生徒にも驚いたし、同じ「ため口」で返す先生にも驚いた。
大学生になって最初に感激したのは、先生が生徒を対等の大人として敬語で話されたことだったというのに。
最近では授業前のチャイムまで導入されたという。(私が卒業し、今は息子が通う大学の話し)。これには先生も生徒もこぞって反対したらしいが、結局大学側に押し切られたらしい。
ついでに言えば、大学生にもなって、子供の成績表を保護者あてに送ってくるのもどういうものか? もう大人なんだから、成績や単位数をいちいち親に「チクる」なよ・・・。おまけに「親展」で。むろん、見もしないし、開封もしない。こんなムダをするくらいなら授業料を下げてくれ。
それとも・・・親からの要望? だとすれば、大学側には、断固はねつけてほしいところだが、チャイムの導入時点で、そんなこと期待してはいけないことは重々承知のはず。
しかし・・・大学生の親となれば、50年代、60年代生まれのはず。それがなんとも不可思議でもあり。
あららら。
また今日も脱線。昼寝の話しがいつしか「自由からの逃走」に変わってしまった。