門田 修/めこん/1996

イメージ 1 著者で選んだ本である。
 以前、「フィリピン漂海民~月とナマコと珊瑚礁」(河出書房新書)で感じた、柔らかな眼差し。
 知というものがこうであることに私は癒されるようであった。
 
 本書はアジアの海を巡る旅の記である。
 「人は海とどう接してきたのか?海は人の暮らしをどう変えてきたか?海を行き交う人、あるいは行き交った人たちは誰であり、何を夢みていたのか?海を生活の場とする人たちは何者であるのか?海と記陸の関係、その接点である浜辺はどんな意味がある?」
 
 「そして海とはなんだ?」

 著者の海は、セレベス海から始まり、ジャワ海、南シナ海、マラッカ海峡、インド洋へと続く。漂海の民への憧憬と生活形態のフィールドワーク。鶴見良行の名作「バナナと日本人」を思い出さずにはいられない。
 「人はみんなが働いている。その姿が目にとびこみ、なりわいの見える島だと思った。島全体が一体となり生きている。それが訪れる者に対して、軽い興奮を与えてくれる。人の営みに似合ったサイズの島であった。」
 「なりわいの見える島」といい「人の営みに似合ったサイズの島」といい、こういう表現に信頼すべきなにものかを嗅ぎ取るのは私だけであろうか。

 歴史は過酷である。たとえれば、16世紀初頭にポルトガル人によって「発見」されたアンボン(インドネシア・バンダ諸島)は、以後90年間に渡りポルトガルに占領された後、オランダがビクトリア要塞を築いてインドネシアを植民地化する第一歩を印した。
 いずれも目的は香料であった。大航海時代のヨーロッパにとって、海を越えてゆくことは巨万の富を意味した。アジアもア フリカもアメリカも、豊かな資源をたたえながら、西洋「文化」の辺境地であった。
 人が生きていくということはどういうことだろう。人が物質的に豊かになり、テクノロジーの恩恵を享受することを、文化の進化といえるだろうか。ボルネオとフィリピン諸島を結ぶ橋のようなパラワン島に、世界に誇るリゾートがある。ダイバー憧れの美しい海が有名なエル・ニド。スペイン語で「ツバメの巣」という意味。
 ここに人は4000年も前から住んでいたらしい。13世紀には中国人が来てツバメの巣を採っていた。町自体はひっそりとした小さな村で、開発前は内陸部に数軒の農家が点在するに過ぎなかった。80年代になって、その美しさは観光資源として注目され、日本、フィリピン、フランスの資本によって次々にリゾートの建設が進み、当然住むものの生活環境は大きく変わった。

 「ひとつの風景を前にして、いろいろな見方をする人がいる。生活の場であり、あるいは美しさの価値を生かそうとし、そしていつまでも守るべきものとして、見て、接する。見方が時代とともに変化する。それにより風景の価値も変わる。人間は風景をとやかく論評し、まるでその風景になにか責任を感じているように見える。持てない責任は持たないほうがよかろう」。

 私はやはり、著者を信じるに足ると思う。
 
 パラワン島は世界遺産に登録され、現在は観光が最大の資源となっている。