夜中に大きな音をたてて一気に雨が降った。
 朝は、快晴。
 昨日、カミユの本が届いた。薄い文庫本。昔は表紙が黄色の全集の何冊かを持っていた。本は高かった。中でも、いい本は高かった。

 カミユと言えば、サルトルが亡くなったときのことをはっきりと覚えている。
 1980年4月15日。

 その頃、ある人とハガキ将棋をしていた。一手づつを、たとえば「4五歩」とハガキに書いて相手に送る。それに対して向こうからも同じように次の手がハガキで届く。互いに相手の手を見て将棋盤を進めていく。気の長いものだ。
 
 その人は、結婚前の夫がたまたまホテルのバーで知り合い、意気投合したという人で、私より20歳近く年上の人だった。なぜ、私とハガキ将棋なんか始めたのだろう? 端緒が思い出せない。
 実家が何かの商売を手広くされているようだった。奥さんと子供さんを実家に置いて、彼ひとり出先の「事務所」のマンションに暮らす、いわば単身赴任。
 洒落た人だった。

 ある日曜日、ふたりでランチに招かれた。まだ、結婚前のことだ。
 その時の電話で「あなたは何が好きですか?」と問われた。聞かれている意味を取り違えて、「テイク・ファイブ」と応えた。
 すると、「ピアノ? トランペット? どっち?」「ピアノのほう」。

 彼(後の夫)は、「遅れる」というので、ひとり約束の時間に玄関の前に立った。当時では豪華な部類のマンションだ。しかし留守。待つことしばし。
 いつものように、スーツにアスコットタイのその人が帰ってきた。小脇に抱えていたのは、デイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイブ」、もちろん当時はレコード。
 田舎出の小娘はその演出に、ほとほと驚いたものだ。

 4月16日。サルトルの訃報を知った。晴れていた空が曇り、午後から雨となった日。
 翌日、その人からいつものハガキが届いた。将棋の手のそばに「雨。サルトル死す」と書かれていた。カッコイイおとながいたものだ。

 それからしばらくして、「当分、将棋はお休みします」というハガキが届いたきり、消息がわからなくなった。
 随分たって、巡り巡ってその人の知りあいという人から、「もう数年前に亡くなられたらしい」と聞いた。

 ホテルの最上階のバーで恥ずかしげもなく、内ポケットから赤いバラ一本を取り出しプレゼントされたことがある。あまりにおかしくて、3人でしたたかに飲んだ夜。
 サルトルは、あの人の思い出でもある・・・。