おはよう・・・ちょっと遅すぎるけれど。
 体育座りをしていたら、背中が寂しがっているのだと自分でわかった。日光浴が必要なのかも。

 昨日アマゾンで「シーシュポスの神話」(カミユ)を注文。古書で1円。安売りのバナナでも5本で198円だったというのに。この本は持っているはずだが、文庫本の中から捜し出す根気がない。
 賽の河原に石を積むごときシーシュポスだけど、不条理をよしと受け止めたあとの彼はどうだったっけ・・・と妙に気にかかって再読したくなった。
 
 つい最近、近くにある大型ショッピングセンターが増床してリニューアルし、日本最大級という複合書店(半分はCDやDVDコーナーだろうけれど、約1,600坪の敷地面積に、本が約70万冊)が現れたそうだ。
 息子は、昨日行ってきたと言う。
 「どうだった? 私も行ってみようかな?」「やめんさい。面倒だし、すごい疲れると思うよ」
 書店の(まるで際限がないような)大型化は、本屋好きには少々辛いことである。
 
 そんなこともあって、この頃は、「再読」で充分と思うようになった。
 若さにかまけて、訳も分からず読んでしまった本達を、多少はものの見えてきた(?)いま読めば、新しい本を読むがごときだろう。「走れメロス」を数年前に読んだ時、しみじみそう感じた。
 昔の読書は、盲目の男たちが象の「部分」に触れた喩えによく似ている。
 ただ、ありがたいことは、学生の頃に読んだ本は、私自身の創りだしたイメージとともに、案外、記憶に深く残っていることだ。
 
 
 さて。
 花の苗を買いに行こう。
 背中に柔らい今日の陽を浴びながら、ゆるゆると植えるとしようか。