副題に「人はなぜ「なぜ」と問うのか」
石川文康/筑摩書房/1998

石川文康/筑摩書房/1998

ある日、私は落ち込んだ気分を救いたいと、友人でもある医者を訪ねた。
一応、友人としてではなく、患者として。
原因である具体的な出来事について彼はなにも聞かなかった。医者としてではなく友人として接してくれたからだ。
もちろん私自身、患者としてではあるが、心を許せる友人であることを第一義として訪ねたのも本心である。
一応、友人としてではなく、患者として。
原因である具体的な出来事について彼はなにも聞かなかった。医者としてではなく友人として接してくれたからだ。
もちろん私自身、患者としてではあるが、心を許せる友人であることを第一義として訪ねたのも本心である。
その時、彼が私に「処方」してくれたのが本書である。
文中に次のようにある。「人間の理性はある種の認識において、特殊な運命を持っている。すなわちそれは、理性が退けることもできず、答えることもできないような問いにわずらわされるという運命である。退けることができないのは、そのような問いかけが理性の本性によるからである。答えることができないのは、そのような問いが理性能力の限界を越えているからである」。
その極限に「自由」はあるという。
文中に次のようにある。「人間の理性はある種の認識において、特殊な運命を持っている。すなわちそれは、理性が退けることもできず、答えることもできないような問いにわずらわされるという運命である。退けることができないのは、そのような問いかけが理性の本性によるからである。答えることができないのは、そのような問いが理性能力の限界を越えているからである」。
その極限に「自由」はあるという。
そして曰く・・・「いきなりカントを読むような(カントに)失礼なことをしてはいけない」。