インターネットのニュースやニュース関連を扱うブログなんかを見ていると
一部の発言があたかも全てを物語っているかのように捉えられている事がある。
例えば・・・被災地の人の声。
芸能人が炊き出しに来たり、支援物資を届けてくれることに対し感謝していると言う声もあれば
全く真逆の声もある。お笑い番組や通常放送に戻った事で元気を取り戻せますと言う声もあれば
もっと被災地の声を届けてくれと訴える声もある。
頑張ろうと言う声に頑張れると言う人もいれば、全て失ってしまったのに
何を頑張れと言うのだ。あんたらは家も仕事もあるから簡単に頑張ろうって言えるんだと。
どの発言も本当の事だと私は思うが、やはり家を失い、家族を失った人の多くは
ふざけんな!と思っている人の方が圧倒的に多いような気がします。
そんな私の声も一部の発言に入るが、最近は小さな田舎町の中でも、あちらこちらで
義援金の呼び掛けが多くなり、正直、街頭での義援金の呼び掛けが私には苦痛でならない。
ぶっちゃけ自分にプラカードでも貼りつけて歩いた方が良いのかな・・・と思うほど、
素通りする事に対するボランティアの方々の目線が、以上に殺気だっていて怖いのだ。
スーパーの自転車置き場で自転車を出そうとしていると、
ボランティアの人が来て東日本大震災の復興支援のための募金お願いしまーす!
募金せずそのまま自転車で走り去ると、チェッと舌打ちするボランティアもいる。
何だか私が物凄い悪者になった気分だ。
市長さんの募金活動では1000円。
郵便局から赤十字に約50,000円。
自治体での決まりがあって共同募金に年間10,000円。
同じく決まりで赤十字に年間10,000円。
年収数千万貰っている上場企業で働く主婦であれば、もっと出せない事もないけど
病院で働く介護士の給料なんて、そんなに多くはもらえないし、気持ちとしては
少しでも多くの義援金を出してあげたい気持ちがないわけではないけど、自分の生活もある。
チェッとか言うな!
義援金は金額の問題でもなく、善意の心ではないのだろうか。
1円でも多く集めたい、その気持ちは分かるけど、素通りする人=募金していない人ではない。
素通りする人でも、既に募金をしている人も多くいるわけで、声かけても募金してくれない事に対し
チェッ!と吐きかけるぐらいならボランティアなんかするな!と言いたい。
世の中、自分の生活が精一杯で募金したくても出来ない人だっているだろうし、
義援金、自分が欲しいぐらいだ!と金に困っている奴は大勢いるんだ。
今日もまたスーパーに行かなくちゃならないけど、どうかボランティアがいませんように!
そう願わずにはいられない。
募金しましたのプラカード変わりに、赤十字会員のシールでキーホルダーでも作って
首からぶら下げて歩こうかと最近切に思うのです。