指導には[くすり]と[りすく]という功罪要素が内包していると認識することが必要だ。 | QT君のブログ

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指導死についてのブログが、これまでのブログの中で1番のフロー件数となっていたので、関心の高さを痛感しました。

 

そこで少しでも指導死の悲劇を無くすことに役立てる事柄として、

私なりに考えてみました。


指導する側と、指導を受ける側が共に心得ておく事柄を、再確認する意味でも

書いてみようと思います。今回は指導者への提言

 

 

【1】 指導者が心得ておく事柄について

  まず、指導者にとっては「良かれと思って」指導した結果が指導死につながったなんて、こんなに辛いことはない出来事だ。


しかし、指導者は現実に悲劇が起こっていることを直視すると共に、他人ごととしないで謙虚に受け止めて欲しいと願う。

 

 

ではどうすることが重要なのか

結論は指導死を誘発しない指導法を確立する必要があるということだ。

 そのための禁句と禁行為を行わないで指導するという道です。

 

1.指導には暴力を排除する


暴力は即効性が高いので、指導者は近道行動をとることがある。


近道行動とは万引きなどをする心の動きだ。[欲しいから盗る]という短絡的考え方だ。

博打の半長的な指導法だと心得よ。半なら薬で長なら毒になるという一か八かの指導を我が子にするか自問するとよい。

 

また、指導には促成栽培は出来ないと覚悟することだ。

食物栽培に利用されている促成栽培は、人間の指導には向かないということを認識する。


指導依頼者には指導効果をすぐ期待する傾向があるのも事実で、私はそのような依頼者には次のように答えるようにしている。

 

 「指導側は必ず成果を上げることが目的で、博打のように半か長かというような指導は出来ない。」指導を受ける側が指導効果を確信するまでには一定の時間が必要だと説明することにしています。

 

 2.禁句を無視して指導することの怖さを再確認する

 

 禁句とは指導者が使ってはいけない言葉がある。馬鹿、死ねなど指導内容と関係が無く、人間性を下げしむ言葉全般を指します。

叱咤激励と言い訳しないで謙虚に省みて欲しい。私の指導人生でも多くの過ちを犯して気が付いた反省を込めての提言です。

 

言葉は両刃の剣と云われるので、指導者は言葉の力を勉強することを進める。

同じ指導内容でも三者三様の指導法があると云われる通り、

他人の目で自分の指導姿勢を内観して、立派な指導者になってください。