名のある教育評論家の講演で子供が万引きしても怒鳴らないで
「どうしたの」と聞けに対する賛否論争に思う
昔の常識と今の非常識にも少し関係があるのではないかと思うので、
私なりに少し述べてみます。
子供は悪いことを発見されても叱られないほど寂しい事はないと思います。
幼児の万引きなら善悪の躾が未完成なので、叱る前に教え諭すことがあるかも
知れないが、一般論としては叱るという形で子供に愛を与えることだと思う。
親も教師も社会の大人も叱ってやらなければならないと思います。
その理由はその子供が大切だからです。
名の通ったこの教育評論家の講演を私は聞いていないので、
評価は出来ませんが、少なくても賛否両論が巻き起こっている事は、
影響が大きいと思うのです。皆さんには中途半端に理解して落とし穴に
落ちないで下さいと願うばかりだ。
賛否論争の中で「怒鳴る」・「叱る」という語が混在しているのが気になった。
怒鳴ると叱るでは全く違う意味なのです。
叱ることは子供の全人格まで否定するのではなく、
万引き行為そのものを責める言葉だと思います。
だから教育評論家が怒鳴らないで~と言ったなら理解できますが、
叱るなという教えには賛同できない。
私は長年、生徒指導部に所属して、何度となく万引き生徒をお店まで
引き受けにいきました。
生徒の前で私は学校を代表して、店の人や警察官に最敬礼でお詫びします。
本当は生徒に私の行為を見せているのです。
勿論、お店では生徒に怒鳴ることはありません。
学校に帰ってから厳しく叱ることはあります。叱って
「どうしたのか」と万引きに至る理由を聞くことは多々あります。
生徒指導教員の任務は万引き行為の罪を自覚させ、
自分の精神の弱さから罪を犯して自分を卑しめない人間になるように
総合的な指導を行うことだろうと思う。
文章にすると何かが抜けている気がするが概ね間違っていないだろうと思います。
同窓会があると「先生は私のために本気で叱ってくれた。
店では先生に頭を下げさせ悪いと思ったと思った。
だから今の自分があります」と同窓会などで言ってくれる生徒もいます。
私たちは一瞬でその時の情景を共有して美味い酒を交わします。
私はこれからも叱るときは叱ろうと思います。怒鳴るのではありませんよ。