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【ビューティフル・ナイト/ポール・マッカートニー】

ビートルズ解散後のポール・マッカートニーにとって、彼の作るラブソングの大半が、妻のリンダに向けられたもののように思えた。

ビートルズの解散は、いろいろな諸説があるが、結局、ジョンにとって一番大切な存在がポールからヨーコに移ったことで、ビートルズという完璧なパズルが壊れたからではないか?

ポールの才能が爆発しての独裁的態度へのジョン、ジョージ、リンゴの対立と不満より、ヨーコという異物の混入でビートルズという奇跡の化学反応の方程式が破綻したからではないだろうか?

ジェーンと別れ、フォトグラファーのリンダ・イーストマンと結婚したポール。

彼女の連れ子の娘ヘザーを、自分の実子と分け隔てることなく我が子のように可愛がるスーパースターの姿には、ある種の畏敬の念を感じた。

その彼が、ジョンとヨーコが結成していた「プラスチック・オノ・バンド」に対抗するように、リンダにキーボードとコーラスを担当させて、「ウィングス」を結成した。

ジョンの作った曲以外は、とても聴けたものではなかった「プラスチック・オノ・バンド」と違い、ポールは全くの素人だったリンダにキーボードを教え、ウィングスは1970年代に、ビートルズがした1960年代と同じレベルの成功を果たした。

70年代のポールのラブソングの筆頭にあげられるのが「マイ・ラヴ」だった。




 
https://m.youtube.com/watch?v=InoG6rhZZRE

【マイ・ラヴ / ポール・マッカートニー&ウイングス】

どんなに離れていようと
僕の心は君のもと
わかってくれるかい?
僕の心は君と共にあるんだよ
それが一番の幸せだから
Wo-wo-wo-wo-wo-wo
それが一番の幸せだから

例え、何ひとつなくしても
君がいれば何かが見つかる
わかってくれるかい?
君への愛があふれている
それが一番大切だから
Wo-wo-wo-wo-wo-wo
それが一番大切だから

君を愛しているよ
君だけが 僕の心を開く鍵を持ってる
ああ 僕の愛する人
君だけが 僕を幸せにしてくれる
Wo-wo-wo-wo-wo-wo
本当の幸せを与えてくれる

ロックシーンの中で、一時的な別居もあったジョンとヨーコや、世紀の三角関係と騒がれたジョージとパティとエリック・クラプトン、ヴォーグの表紙を飾るような女性と恋を重ねるミック・ジャガー等の話題に比べ、決して華やかなカップルではなかったが、もっとも安定し、お互いに仲つつまじかったのが、ポール夫妻だった。

リアルタイムでポールのアルバムを聴くようになった80年代以降も、愛妻家のポールが作る歌は、とてもフレンドリーで、優しく、愛に満ちたものだった。





http://m.youtube.com/watch?v=7rLdT3K5K-o

【オンリー・ラヴ・リメインズ/ポール・マッカートニー】

君がその愛をぼくから、引きはらったら
ぼくはただ、それを戻したいと思うだろう
たぶん、そんなこと、気づかないふりをして
けど、ぼくのことだから、君にまた帰ってほしいという
言葉が意味を失うまで、そしてここにあるのは
ただ愛だけ、残るのも愛だけ


90年代になって、何度かの来日公演の後、悲しいニュースが届いた。

時はポール、ジョージ、リンゴとジョージ・マーティン、ジェフ・リンを中心にした「ビートルズ・アンソロジー・プロジェクト」の頃だった。

ポールが14歳の時、母メアリーの命を奪った乳ガンに、再び愛妻リンダの身体が侵されているらしかった。

1995年から96年にかけての「アンソロジー・プロジェクト」の当然ながらの大成功の後、共同プロデューサーとしてジェフ・リンの手腕を買ったポールは、彼にアルバム制作の協力を依頼し、1997年5月に満を期してポールのソロ・アルバム「フライミング・パイ」が発売された。

ウィングス解散後のポールのアルバムと同じように、今回もリンダが癌で闘病中、コーラスに参加している。

癌であったとしても、即、生命を失うとは限らない。

確かリンダも手術が成功したような話も聞いていた。

セールス的には活動の停滞していた80年代中盤以降のポールにとって、久しぶりに大ヒット(全米・全英とも2位)になったこのアルバムにも、いかにも「マッカートニー・メロディー」と言える美しい曲が入っていた。

【ビューティフル・ナイト/ポール・マッカートニー】

http://youtu.be/3bjNYGqeZYU

誰かは釣りに出かけていった
誰かは船から下りて来た
誰かは寂しいローレライに行く任務を負っていった
空中に城郭の幻を見た者たちもいる
そして僕は一人残されて 
何故だろうと考えている君と僕

美しい夜にしておくれ
恋には素晴らしい夜だよ
恋人たちが愛を確かめ合う美しい眺め
美しい夜にしておくれ
恋人たちが愛を確かめ合う美しい眺め

大海に浮かぶ船がある
僕らはこの部屋にいる
午後を過ごすのに
これ以上完全なことはないと僕は思う
城ならば空中に探せばいい
もう 何故だろうと考えることもない

間違うこともある うまくいくこともある
真夜中につまずくこともある
だから 僕にそこに行かせて 僕にいさせて
そこに僕も君といさせて 真夜中に

美しい夜にしておくれ
恋には素晴らしい夜だよ
恋人たちが愛を確かめ合う美しい眺め
美しい夜にしておくれ
恋には素晴らしい夜だよ
恋人たちが愛を確かめ合う美しい眺め

そう とても美しい夜だよ
そう とても美しい夜だよ


 -映像を見ると、当時のポールと比べても、一歳年上のリンダの痩せ細り方、急激な老け込み方には、彼女の容態が決して良くないことを察することができる。

この曲はポールの80年代中頃の低迷期、フィル・ラモーンやデヴィッド・フォスター等とセッションを重ねていた時期に、フィルのプロデュースでレコーディングされ、お蔵入りしていたものだった。

「フライミング・パイ」のレコーディングに関して、「アンソロジー・プロジェクト」の流れから、リンゴの参加が決定し、これで「ビューティフル・ナイト」を描いた形に作れると思ったという。

ポールとジェフ・リンのプロデュース、さらにストリングス・アレンジが師匠のジョージ・マーティン、そしてドラムがリンゴ・スター、コーラスがリンダという錚々たる面々で再録音されたこの曲。

よく聴けば、これはビートルズの「アビーロード・メドレー」の再現だと分かる。

以前にもウィングスのラスト・アルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」のB 面も同じような雰囲気があった。

この切ない、何かを慈しみ、いたわるような「ビューティフル・ナイト」を映像より先に、アルバムの中の一曲として聴いた時、直感で「リンダの身体が相当悪いんだな」と悟った。

多分、それまでにどんな悲しい歌にも一抹の微笑みと救いを感じることができたポールの歌声に、この「ビューティフル・ナイト」だけは悲痛にくれた想いに満ち溢れたように思えたのかも知れない。

アルバムの発売から一年も経たずの98年4月17日、ポールの愛妻リンダの癌が全身に転移し、死去。

リンダをガンで亡くし「1年間は悲しみにドップリ浸かって泣いてばかりいた」というポール。

99年4月、チャールズ皇太子主催の、様々な慈善活動を称える賞の授賞式に動物愛護運動家とし招待されたポールはへザーと出会った。

25歳の時、110番通報を受けスピードを出していた白バイにはねられて、左足を失ってしまいモデル業としても致命的ともいえるハンディを負ったへザー。

やがて「義足のモデル」として、地雷で足を失った発展途上国の人たちに義足を送るなどといった慈善活動を行い、地雷撲滅キャンペーンや環境保護活動など、さらなる講演の依頼が殺到するようになった。

元モデルで義足のブロンド美人で、慈善活動家という、リンダの面影が漂うへザーに、ポールは完全に惹かれてしまう。

2002年6月、ポールとへザーはついに結婚。

 当時ポールは60歳、34歳のヘザーとは26歳の年の差婚ということでかなり話題になった。

そして翌年には娘ベアトリスも誕生し、2人でチャリティ活動を行ったり、へザーがポールのツアーに同行したり、仲むつまじい夫婦のイメージが徐々に定着しつつあったのだが、様々な慈善活動でしょっちゅう家を空けるヘザーと、妻には家庭にいてほしいポールとの間には、大きなズレがあったようで、04年には早くも別居。

そして06年5月、4年の結婚生活に終止符を打ち離婚を発表するに至ってしまう。

08年、ロンドン裁判所がポールに命じた慰謝料の総額は約47億円といわれている。

ヘザーについては、離婚後、散々なゴシップが発覚しているが、一貫してポールは擁護の立場をとっていた。


2007年6月に発売したポールの起死回生の作品(英5位/米3位)である「メモリー・オールモスト・フル」は、またしてもビートルズ回帰のようなアルバムだった。

そして、そのタイトル「Memory Almost Full」は、"For My Soulmate LLM"を並べかえたもの、と言われている。。

LLMというのは、Linda Louise McCartneyのこと。



追記・

2011年10月9日 、ポールは英ロンドン市内の公会堂で米国人女性ナンシー・シェベルと結婚式を挙げた。

この公会堂は、ポールとリンダが42年前に結婚した同じ場所でもある。