うたう こと と うたわされる ことは ちがうよね


おどる こと と おどらされる こと も
ちがうとおもう


わたしは


ぎじゅつがあると すてきだなと おもう


ただ


どこからが やらされ になるのかが わかれば


やらされない じぶんが


ないめんから はつどうする


うずのようなものを


だいじにできる と


おもうだけ






親はなくとも 子はそだつ。


親が無くても。


親が泣いても。


親が 鳴いても(じぶん?)、


こどもは、


こどもじたいのちからで、けっこう育つ。


だけどさ、


ちっちゃい我が子はかわいくて。


すこし大きいのもいとおしくて。


もっともっと、
かわいがっていたい。たのしいんだもん。


それは、


こどもからの 愛なんだよね。


かわいいと 思わせてくれる。


じぶん、必要な人間なんだ!と 思いこませてくれる。


なにをやっても、


こども、親のじぶんのこと、ほめてくれるんだよ。


ずいぶん 甘えさせてもらいました…。


でも、このここちよさに、あまりにもひたりすぎるとね、


どうも、


じぶんの元オヤが、あまったれてきやがるんだよ!


甘えたりない元コドモのオヤたちを線引きしてみたら、


じぶんも こどもに甘えすぎてたと 気がついた。


ありがとう こども。


いま、
じぶんの立ち位置から、
過去をザザーっと、想像してみて、


親に甘えられなくて子供に甘えたがるパターンが、ふるい信念として、


ばくはを待っている気がした。


過去 というイメージは延々つづく行列のようだったけど、



じぶんは、じぶんのあしもとのきばくスイッチをおして、


さながら いろあざやかにはじけるドミノのごとく


とおくへ とおくへ


こわれていく過去を


しばらく見て


みらいのこどもたちに あなたたちの重荷は何一つ無い と 微笑んでみた


はじけるドミノ花火は まだ 走っているかもしれないし


とまったかもしれないが


もう 見えなくなれば


どっちでも同じだ


ああ~軽くなったよ!


かるがると しているよ じぶん



 



長期的にしあわせなふたり。


じぶんのなかにいるじぶんとなかよくなり、


じぶんのほんとうにほしいものをみつけた。


それが、


妥当かどうか だとか、


現実に可能か とか、


そういうもののフィルターをかけないで、


ただ、


ほしいもの。


それは、とてもシンプルだった。