うまれてきてくれて よかったなあ と おもうひと に


きょねんは たくさん あった


それで


じぶんが すきになれるかんじのひと
じぶんが 生かされる感じのするひと


の 感覚も わかってきて


それから


すこしさびしいけど


わたしのことを あまり いまいち うーん と かんじる ひと が


いても それは それで


そのひとが しあわせになれるような ことにも なってほしい


ぜんいんを しあわせに する


ぜんいんで しあわせに なる


ぜんいんが しあわせで ある



ぜんいんと しあわせで いる。


これからも。
ずっと ながいこと
わたしたちの しあわせないま は


きっと


…つづく。





ときどき


こんなに 泣くことが ほんとうに じぶんのしたいことなのか?


と おもいながら 泣いてる


泣いても いい 時間と空間が


じぶんは ずっと のぞみで


それは
いま かなっている


だから


それについて感謝しておく


だれにも
みられずに
きかれずに


ゆっくり なけるばしょが


だれにでも ほんとうは ひつようなはずで


じぶんには
それが あたえられている


だから 感謝している


泣けることに。


泣かないですむなら もっといいと おもうのだけれど


やっぱり


泣く のと かなしいきぶん は どうじにおこってきたりして


かなしいきぶん と じぶん が


はなしあう


これから どうしたいのか


だれに あいたいのか


だれになら きをゆるせそうなのか


だれとなら どんなふうに?


ほんとうにしたいことは?





(いいこになったら あのばしょに かえれる?)






わたしが 母だとおもってきたひとが


じつは一世代 うえのにんげんだった なんてことが


あるのかも


わたしを ほんとうに うんだのは ?


わたしには
うまれたころのきおくが いくつかあって


とても やさしい手にだかれたのも おぼえている


あれが もし


わたしの 母ならば


わたしはじぶんの母をこころからあいしている


あの手が


うまれたばかりに だかれること


こころからの あいをかんじるのは


ほんとうに だいじなんだ


産まれてくる子に さいしょにふれる手


そのあとの数時間 数日間


おもいだせば 鮮烈すぎて


だからね


赤ん坊は あいされなくちゃならない


どうしたって
にんげんがおもいつくかぎりの 最善をつくして あいされなきゃ ならないんだよ


あたまでかんがえないで
こころをひらく


エネルギー的に親和するそんざいが どうしても必要


それが あたりまえになり


それなしで うまれたと感じているひとたちは


どんなふうにしてほしかったのかを


いいはじめてほしい


それは


せかいを かえてゆくよ。


きっと。