彼への思いを表現して
わたしの正直なすがたもさらして

もう

かれのきもちのなかの
『もっと知りたい』とか『いいひとに思う』とか

そういうのを蹴散らして

ふつう レンアイならもう始まらないだろ、というところまで、来たと思う

それでもわたしをわかってほしい
そんなきもち
レンアイなら マニュアルでNG指定

めんどうで がっかりして もういいやって投げ出されるなら
それは時間の問題だったのだから

さて
なにもなくなりました
ゆめもまぼろしも

そうしてそれでも
変わらないやさしさが欲しいと思っているのです

試して疲れさせて
あきあきして 去っていったら

すごくさびしいのに
ああこれであなたはしあわせになれると思う

わたしに期待するのをやめて
信じるのをやめて
離れていくことさえできれば
あいては自由になれる
しあわせに

もう、そんな思考回路やめたい

すきになってほしい
でもひきとめるのこわい

わたしにかかわることはあきらかな不幸だ
わたしは母のようだ
しあわせになんかできないんだひとを愛したら
そのひとを不幸にしてしまう

わたしを
愛してくれた人を
しあわせにするには

本当に
はなれるしか方法がないのか?

にげても追いかけてくる過去は
対峙すれば ほんとうに消え失せるのだろうか

それがほんとうなら
わたしは
すきなひとに あいされて
しあわせに なりたい

それは高望みじゃない
それは可能なことだ

きらいにならないで
きらいにならないで

この糸がつながっているならがんばれるから



 



3:21。


三年前のいまごろ


わたしは


じぶんのかんがえを
いろんなひとに
せつめいしなければならなかった


子どもが通っていた園の
やりかたに
違和感をかんじ
それを
ことばにしはじめた


にんしんしていたけど
ふとったことにしていて
施設で産む気はなかったから
ほうりつのそうだん
てつづきのそうだん


じぶんが
したいことをやる
それだけのことが


なんじゅうにも
なんじゅうにも
はばまれていて


だけど
ひとつひとつ
くずしていけることを知った
交渉というツールを
わたしはたぶん
うまれてはじめて
行使したのだ


わたしには
いきるけんりがある


いかされるだけじゃない
いかしてもらうだけじゃない
いきる
けんりがあると知った


『あなたのしたいことには前例がありません』ということばを
このころ
なんどもきいたけど


あらゆる前例を熟知した人が
まどぐちにいるわけじゃないんだ


そしてわたしは


ひつようなものを手に入れた


揉めに揉めたが
こどもは無事に退園したし


事前に動かれないように
自宅出産は当日発表のぶっつけ本番


なにもかもが成功


そう わたしの計画通りに、
うまくいった



ただ
いまにして思うのは


ひとりだから頑張れたし
じぶんの判断で動けた
協力してくれた人たち
みんなに感謝しているけど



わたしがしたいことを


理解してほしかったな


だれかひとりでも










最近、うたうことに目覚めた、琉津です。


覚醒(笑)から、三ヶ月くらい?かな。


声楽の発声についての本を、初めて読みました。


声は、
出すものではなくて、鳴らすもの。
そういうことばに、目がとまりました。


からだって、楽器。


そして、
鳴らす…というよりは、

鳴り始めるもの。だと感じます。


ふだん、ゴスペルや合唱のクラスに参加させてもらっていますが、


たまに、木の多い公園に行ったり、
夕焼けを見たりすると、


わたしは、鳴り出します。
(町中なのでミュートします!)


ゆるゆる踊り出しそうなときも(これもセーブします)。


からだっていうのは、


共鳴しているのが、自然なんだろうな…。


それは、


わたしの考える、
原初のヒーリングです。


調和と共鳴。


ひかりと いのちと 色彩、

おんがく、からだ、うごき、


すべて、
“おなじもの”。


そこが、
わたしにとっての《heal》。


ヒーリングとは、
ぜんたいてきなもので、


おおきなもの。



…ざつだんでした。(*^o^*)