内観 | 徒然なるままに……理の赴くままに……

徒然なるままに……理の赴くままに……

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ここのところ、リアル生活が忙しく、書きたいネタはあるのに、ブログが書けないという、欲求不満に陥っています。

また、そんな不満と共に、憤るようなことが続き、過去に忘れたはずの憤ったことなども思いだし………人間、忙しく心を亡くすとろくなことがないな…………これが引き寄せの法則うんぬんだなぁ………と感じていました。

昨日、仕事中に、憤る出来事を見て、憤りが怒りに変わろうとした時に、頭の中に………


『阿修羅になってはいけない!』


という言葉が浮かびました。
阿修羅になるとはどういうことかと自分自身に問いかけました。つまり、ここから内観が始まりました。


『阿修羅は、元々は正義感の強い、正しき神。けれど、その強すぎる正義感に拘り、執着となり、【魔】となってしまった。明らかに己に正義があったとしても、それに拘り執着となれば、それは正義ではなく【魔】だ!人は未熟ゆえに人であり、だからこそ学ぶ為に地球に生まれてくる。正義感で正そうとするのではなく、未熟ゆえに許すということも【愛】だ』


なぁんて、私の内なる声はいうけれど、注意し、気付かせるのも【愛】じゃね?と、私は思うのです。
確かに、その状況で注意をしても、おそらくは逆ギレされるのが関の山だとは思うが……。それに…………


「それに、それでは、貴方が何の為に人に叡智を与えたのかわからないじゃないか!何が正しくて、何が過ちで、何をすれば良いか。何が人の為になるのか…………どうすれば、人は愛に気付くのか!それを考え、判断する為に与えた叡智だというのに…………それが伝わらなきゃ、貴方が堕天をした意味はあるのか?ルシフェル!」


私は、叫ぶように内なる声に告げる。
内なる声は変わらずに穏やかに…………むしろ、闇のような、穏やかな静けささえ感じられるほどでした。


『知恵をどのように使うのかは、人次第。己の欲望に向けるのか、人を慈しむ愛に向けるのか。それは強制されるべきものではない。私が人に叡智を与えることに拘ったのは、人がみな【個】として考えてほしいから…………言われるがままに飼われた方がいいのか?それとも、知り、学び、選択をしていく自由の方がいいのか。私は、叡智を与えた段階で、その選択は御霊の【個】に任せている。これ!ということを決めるのではなく、全てを選択する自由………その選択の幅を広げられるようにする為に、叡智はある………ただ、それだけだ。生かすも殺すも、人次第…………私は信じている』


そんな独り言のような内観でしたが、私の気持ちは落ち着いていました。
先程までの怒りに変わる憤りもすっかり鎮静化していました。
内観って、やっぱり時々は大切なことですね。

31日に、新月の瞑想会に初めて参加してきます。
自分自身と向き合うという、一番基礎的なことを習ってきたいと思います(*^^*)

さて………今日も仕事!頑張るぞ!