ダメ子と、だぁりんと、息子ちゃん -2ページ目

性的快感について考える

だぁりんとセックスは、とても気持ちいい。
いたって不満は無い。
私は間違いようなくMなのだけど、だぁりんも間違いようなくSだから。
噛んでもくれる。
叩いてもくれる。
首も絞めてくれる。
厭らしい言葉で、私は恥ずかしくなって興奮する。
痛みの後の快感に、だらしなく声を上げてしまうのだ。

毎日毎日セックスしていても、したくて。考えただけで手が伸びてしまう。


だぁりんとセックスし始めて、はや一年。
したい事は大体してる様に思うが、まだまだ何かあるのでは? という、どうしようもない考えに至る(笑)

かといって不満があるわけでは無いので、なかなか思いつかない… はて?


そしてもう1つ。
だぁりんは飽きてやしないか?

そんなん嫌です…


故に何か模索するわけなのだが…

いかに好いてるかについて…

私は恐らく『愛情表現』が、あまり上手くはない。というか、他人とのコミュニケーションが苦手である。
親にしかり、息子ちゃんしかり、だぁりんしかり…

無論、それ故、『友達』なんてカテゴリーになると、本気で1人しかいないのだ(泣) まぁ、さして困る事もないけれど…

話しは戻るが、『愛情表現』 いわゆる、『すきすき光線』を私はどうも出し切れない。

出すタイミングがわからない。

例えば息子ちゃん。
とても大事な宝物である。ぶっちゃけ可愛くて仕方ないとも思う。
でも私は普通にしか接する事が出来ない。 他のお母さんを見ると凄いなぁと思ってしまう。
母親らしい優しさ?を私は出す事が出来ない。


例えばだぁりん。
カナリの勢いで大好きだ。もうほんっとに結婚してよかった。「うぇっ」と言われそうだが、毎日ずっと一緒に居たいくらいだ。
でも私は言われるより先に「あいしてるよー」と言う事はめったに無い。 自分からくっつく事もあるが、何だか照れてしまって、あまり得意ではない。


要は、『ベタベタした関係』というのが不得意なのだ。
『嫌い』なのではなく、『不得意』


先日、久しぶりに会った友人に、だぁりんとのケンカについて愚痴った所、思わぬ事を言われた。

意外に可愛い所もあるじゃないか。

と…


どうやら彼にしてみれば、たかだか男の事でモンモンとしてる私が意外だったらしい。

確かにだぁりんと逢う前まで、私は嫉妬する事もなければ、泣く事もなかった。
自慢じゃないが二年程泣いた事なんぞなかった。


『喜怒哀楽が激しい』と仰いますが、どうかダンナ様。それが私の『愛情表現』だとわかってくださいな…


などと思ってみる訳で…

収納場所

イラつきは、どこに収納したら良いのでしょう…
不安や疑いは、どこに収納したら良いのでしょう…

私はあまり、整理整頓が上手くない。 必然的に『収納』なんぞ、『見えないとこに隠してしまえ』精神により、ぐっちゃぐちゃである。

故に、収めたはずのものが、とある事をきっかけに溢れ出してくるのである。
質の悪い事に…あぁ…

そう、ただ見えない様に蓋をしていただけのため、その感情は時を過ぎてもリアルに蘇ってしまう…
そして私は自らどつぼにハマり、身動きが取れなくなるわけで…
上手く整理整頓出来手入れは、例え見つけても『あの頃はこんな事もあったなぁ』などと思い出に浸れるわけだ。
もしくは潔く捨ててしまえば、先に進むも安易に出来ただろうに…

とっても処理に困るっ!もしも、その都度相談したり、愚痴ったり、不安を口にしていたら、それらの腐敗物に困る事はなかっただろう。


だが、どうしても私は苦手なのだ。それ故、処理に困るほど溜めてしまう…
そしてその腐敗物を少しずつ、迷惑をかけずに出す方法が、過食嘔吐であったり、リストカットだったのだが… それを禁止されてしまっている今…さて、どうしたものか。

『相手と話せばいいじゃない』
とか
『そのつど解決したら良いじゃない』
そんなもの、出来る性格ならば、今頃友達も多かろう…

話して丸め込まれる虚しさ…
相手に苦労さすなら、自分が何とか…

などという、自虐癖により、今日もモンモンと私は可哀想な自分を演じるわけである…


ことさら、腹の子は悲惨である… このような母のストレスを一身に受けているのだから。
ごめんなさい。