息子が小学校低学年の頃、「死にたい」と言った時の衝撃は、今でも忘れられない![]()
当時、息子は「母さん達に孫を見せてあげられなくて申し訳ない」とも言っていた。
こんな小さな子が、なぜ(私にとっての)孫のことまで心配するのか理解に苦しんだ![]()
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私は息子の結婚について口にしたこともないし
勉強を強要したことも進路のことを話したことはなかった。
今になって思うのだが、息子はあの頃、世間の大多数の人がどのような人生を送っていくのか子どもなりに分かったのだと思う。
息子は言葉は遅かったが、過敏で繊細で理解力は高かった。
学校に行き、就職して働き、結婚をして家庭を持つということが
学校にも適応できない、人とコミュニケーションがうまく取れない自分には
とうてい無理だと、絶望しかなかったのだろう。
そんな息子の気持ちを分かろうともせずに
私は、ただただ学校に行かせることばかり考えていた![]()
口には出さなくても、潜在意識の中で息子には、人並みに幸せになってほしい、立派になってもらいたい、優秀であってほしい
という願望があったのだ。
息子の高い能力の部分に期待もしていた。
後に息子は「期待に応えられなくて申し訳ないと思っている」と何度も言っていた。
どれだけ親の期待に応えられない自分を責め続けたのだろうか![]()
これでは、息子の自己肯定感が上がるはずもない。
本田秀夫先生(精神科医)の講演会で
期待値ゼロ
「せめて、、、」はNGワード
という言葉を聴いた。
核心を突いていて、思わず笑いそうになった![]()
親の「せめてこれくらいは、、、」という期待が
発達障害や不登校の子ども達を苦しめる。
(息子に対して期待ありありだった私が言うのも変だけれど)
親の中に子どもへの期待があるのは当然だ。
でも、期待から子どもを動かそうとしたり、コントロールしようとすると、うまくはいかない。
子どもに対してフラットで無であれたらと思う。
期待があるから、それからズレた時に
落胆し、嘆き悲しみ、動揺する。
例えば、第3者が人とは異なる生き方をしたり、ユニークな発想をしたりすると
なんてステキなんだ!面白い!
と思ってしまうのに、我が子だと
えっ?なんでそうなる?
と、瞬時に人並みからはずれることに恐れを抱いてしまっていた(私の場合)![]()
自分の中で期待をゼロにするのは難しいかもしれない。
でも、そんな自分も認めながら、できるだけ息子の重荷にならないよう圧にならないようにしたい。
どんな息子でも存在するだけで、生きているだけでありがたい、素晴らしいと親が思えた時に
子どもは自分の人生を歩き出すように思う![]()
