現実に向き合う力が欲しい。
そう、どこかで声が聞こえる。
誰の囁きなのか、はたまた自分自身の声か。
まぁ、それが誰の声であったとしても私には関係ないか。
世界各地で起きている問題、私自身が抱える問題、隣のあの子が抱える問題。
闇は広がるばかりで解決の糸口さえ見つけることが出来ていない。
しかし、それらすべての聞こえてくる哀れな声を私は心底どうでもいいと考えよう。
私の中にある正義と悪はそれこそどちらでもいいことだから。
どちらも私であることに代わりはないのだから。
生きていることが苦しくなる。
息をしていることに疑問を感じ、自らその鼓動を止めようとする。
考えれば考えるほど頭が痛んでめまいがする。
もがいてもがいて足掻いて足掻いて。
それでもどうにもならない、目の前に鎮座する現実というものはひどく滑稽でひどく美しいんだ。
よくあるアーティストの歌詞に“未来を切り拓け”“自分次第”とかあるけれど。
未来というものは“現在”にないから未来なのであって切り拓くもなにもないだろうと、
ひねくれ者の私はときどき考えては自身にあきれ果てたりする。
私はそういうときの私がとても嫌いで憎らしい。
だが、それも私なのだとすぐに私を受け入れている。
そんな風に相反している私の思考はこの文章のようにとても歪んでいて理解しにくいものだと思う。
色々考えることはあるけれど。
だって、人間だもの。
考えていることはあるけれど。
私が私に導く答えはいつも一つしかない。
なるようにしかならない世界の流れに任せる。
そう。
この世界はなるようになる。あるがままで。そのままで。
私というひどく矛盾した性質をもつ私からみればこの世界は実にくだらなくて愉快。
ときに美しくて優しくて、結構手厳しいときもあって。たまに泣きたい。
それらすべて、まるっと含めて考えてみても。
私が導く答えは一つ。
“この世界はなるようになる。”
私は私であるために、なるようになる世界の流れのままに生きている。

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