3月11日金曜日 2:46pm 震度は確かではないのですが震度6くらいの地震が私のいた宮城県泉区で起こりました。


その日の午後、研修の最後の日、みんなで楽しいときを過ごし、いっしょに研修を受けた、アンジー、ゆういちさん、ピーター、デール、サム、ルーク、クリス、りなさん、さちさんたちにお別れをしました。

実はその日、アンジーとゆういちさんと宮城県の仙台市にある美術館に行く予定だったのですが、急きょ、Felice(フェリーチェ、私の勤務地です)のみんなでGrapeCity(英語の教材を作っている会社)さんの会社見学に行くことになったのです。

2時15分頃、GrapeCityさんに到着し、スタジオや、DVDのアニメ製作などを見せてもらいました。2階から降りてきて、会議室に入り、そこで、Feliceのロゴをデザインした飯森さんという方に、GrapeCityのコンセプトのPresentationの6分ほどのビデオを見せてもらいました。
ビデオがおわり、飯森さんが話し始めたそのときです。

ガタガタ揺れ始めました。
私は「あ~。。また地震きたよ~」と思いました。
でも2階で窓ガラスが割れる音と同時に、女性スタッフの叫び声が聞こえ、
私たちもその大きな揺れに驚き、すぐにテーブルの下に隠れました。

隣の同僚たちが泣き叫ぶ横で、私は動揺しながらも、
「大丈夫、すぐ終わるよ。大丈夫。」
と、繰り返し言い続けてたのを覚えています。
今思えば、その言葉は私自身に言っていたのだと思います。

平らな床のはずなのにいすが目の前をスーっと通りすぎていきました。
長い長い3分間の間で私は「死ぬかもしれない」と思いました。
目の焦点がはっきりせず、常に動いてる景色をただただ眺めてるしかできませんでした。

やっと揺れが収まり、震えながら外にでました。
外に出た瞬間、安心したのか涙が出てきて、みんなで駐車場に座り込みました。その駐車場もひびがはいっているところがあり、見た瞬間ぞっとしました。
同時に、近くでは「落ち着いて行動してください」という、メガホンで叫んだような声が街の方から聞こえてきました。
人々がどんなにパニックだったか、想像できたような気がします。

雪の降る中、外で余震を感じながら、次に何をするのか、上司からの指示をひたすら待ちました。車の中で待っていなさいと言われながらも外で待っていたのは、車の中の方が余震を感じやすいからです。

地震があったとき、もし予定どおりにホテルに戻り昼寝をしたり、街にバラバラに行動していたと思うとぞっとします。
そして、1日ずれて地震が来たら私は松島の海の上で津波に飲み込まれていたかもしれません。
予定の変更をしてくれた上司に感謝、感謝です。

1時間後、私たちは泉区の近くにある、加茂の集会所に移動しました。
その途中、水や食べ物をもらえるドラッグストアに立ち寄り、一人ひとつ必ず大きなボトルの飲み物をもらうよう上司に言われ、そこでいろいろなものを手に入れました。

集会所には発電機があり、オープンヒーターの周りを囲むようにして座りました。しかし、水には困りました。断水を初めて経験しました。
集会所にはすでに何人かの人たちが避難してきており、子供からお年寄りまでいました。中には手術をしたばかりで松葉杖をついていた人もいました。
同僚に、「この人とお年寄りが一番助けがいるから協力しよう」と言われました。
子供たちは小学2年生ほどで、みんなになついてもらえました。
その子たちはいろいろ教えてくれました。
「食器が全部倒れてきて割れちゃったんだよ」
「冷蔵庫の上にあった電子レンジが飛んできてびっくりしちゃった」
「遊びにいく途中だったのに」
みんなそれぞれなぜか楽しそうに教えてくれました。

寝るとき、その子供たちの横で寝ました。たたみの上に座布団を敷き、自分のコートを上からかけて寝ました。ヒーターがあったのがせめてもの救いです。そのとき、ほのかちゃんという女の子と少しお話しました。彼女はお父さんに連れられておにいちゃんと避難してきたそうです。お母さんとは離婚により別居しており、お母さんは仙台市内に一人暮らし、しかもまだ連絡がとれていないと言っていました。「お母さん、生きてるかな」と言った表情からは深刻さはうかがえず、まだどんなに深刻な事態なのかわかっていないのだと思いました。彼女が眠りにつく前に言った言葉が忘れられません。
「でも地震があってよかった!!だってさきちゃんと会えたんだもん」
それを聞いて複雑な気持ちでした。なんて返していいかわからず、満面にはならない笑顔で応えることしかできませんでした。

3月12日 4:00amくらい
余震で目が覚めました。けっこう大きい余震だったので何人かがおきてしまいました。そこから何度か寝たり起きたりを繰り返し、6時10分くらいに起きて、7時半頃、救援物資のわかめごはんが届きました。あったかいわかめごはんを配り、食べました。決しておいしいものではありませんでしたが、あたたかいおかげで、気持ちが少し落ち着きました。
それからは、家族とホンちゃんに連絡をなんとかとろうと何回も何回もメールを送ろうとしたり、電話をかけました。しかし、わたしのケータイからはどうしても連絡ができませんでした。
同僚の電話はときどき繋がるというので借りました。
何回かかけて繋がったとき、涙が止まりませんでした。
家族全員の声を聞いたら涙が次から次へと流れてきました。
生きてるんだな、と実感しました。
ホンちゃんに連絡する手段がなかったのでお姉ちゃんにFacebookで連絡をとってもらうように頼みました。ただただ、無事なことを伝えたかったのです。

その日は午前11時に発電機のガソリンが終わるというので、加茂にある小学校の体育館に移動しました。もちろん状況は変わりません。相変わらず水はないし、寒い。水を考えると集会所より悪い状況でした。100人以上のひとがいるのにトイレが4つ。水も流せないので悪臭が漂っていました。
水は自分たちでバケツから流すというものでしたが、限界があり、次の日には4つのうちの2つが詰まってしまいました。男性にはトイレの水がなくなるとプールから運んでもらう形になりました。

この前もらった飲み物と食べ物をたよりにその日の朝と昼は過ごしました。
それから、街の方にいけるかもしれないと思い、仙台市内にあるホテルに数人で荷物をとりに行きました。私の部屋は6階、荷物とりに行ってる間に揺れたら崩れるかもしれない、などの不安を抱きながらも荷物をとりに行きました。部屋の中は結構ぐしゃぐしゃだったけど、思っていたよりは大丈夫でした。ただ、上司の車は一台立体駐車場にあったので、その車はあとでとりに行くということになり、そのときはあきらめました。
高所恐怖症の私が外の非常階段を使いながら荷物を降ろすのはひと苦労でした。なんとか無事に荷物を取り出せてひと安心でした。

避難所に帰り、携帯の充電をしました。ひとり15分が限界でした。
しかし、充電しても使えなかったら意味がないのです。災害用伝言板もインターネットが使えないから繋がらず、電話もメールもできない。やっとメールを受信できたのが夕方の4時過ぎでした。一時だけ、電波がよくなった時間でした。みなさんからの心配メール、感動しました。
ありがとうございます。

それから小さなテレビがあるのを見つけ、その前に行って今回のニュースを見ました。
「what the hell....」
津波が街を飲み込んでる映像を見て息をのみました。
新聞では見たのですが、映像で見るのとはぜんぜん違いました。
津波の恐ろしさを始めて知り、死者が万単位になると聞き、夢であって欲しいと願い続けたくらいです。それ以上見ていられなくなってしまいました。

夜は真っ暗なので空を見上げると満点の星空でした。
停電でも月明かりと星のおかげで少し明るかったです。
あんなにきれいな星空を一生忘れないでしょう。

しかし、寒さはひどかったです。私たちは旅行者みたいなものなので、ブランケットもなく、マットレスもなく、冷たい体育館の床にビニールシートを敷き、ござを敷き、その上に寝るしかありませんでした。しかし、前の避難所でいっしょだったおばあちゃんが2枚ブランケットをかしてくれました。人の温かさをそのブランケットをとおして感じました。
しかし、寒さはやっぱりあまりしのぐことはできず、夜中に起きてしまい、ヒーターの前であったまりながら、飯森さんが貸してくれたガスコンロでお湯をわかしてお茶を飲みました。その間、上司とどのルートで帰るかかんがえて、山形から新潟へ、そして群馬へというルートに決めました。

3月13日 日曜日
朝ご飯をもらってから車に乗り込みました。
荷物をできるだけ減らすため、残った飲み物や食べ物は寄付してきました。
お礼を言われたとき、胸が痛みました。私たちは群馬に帰れば安全にいられるのに、この人たちはまだまだ長い避難生活が続くのだな、と思うと帰れる嬉しさ反面、複雑でした。
お世話になった方々、小学生のみんな、ブランケットを貸してくれたおばあちゃん、みなさんにお礼を言い、別れるとき、涙があふれてきました。
災害の中でも助け合い、人の温かさを知ることができました。
「帰り気をつけてね。がんばってね。」
外まで見送りに来てくれた方々に言われました。涙が止まりませんでした。
みなさんの方が大変なのに、わたしはただ泣いて泣いて、
「ありがとう。みなさんも気をつけて。」
しか、言えませんでした。
出発する前にお祈りをし、みなさんに見送られて、2日間の避難生活は終わりました。

Feliceに着いたのが夜の7時頃
家族が迎えに来てくれました。先生たちが待っていてくれました。
泣いて泣いて泣きまくりました。
「おかえり」
が、聞けてなんて幸せなんだろう、と思いました。


この3日間は生涯忘れられない、忘れてはいけない経験でした。


地震はあまり経験したくないけれど、自分が被災者になって学んだことはたくさんありました。
そして、水と電気、そしてガスがあることはとてもとても幸せなことなのです。どうか、どうか、無駄遣いをしないでください。

暖かい場所にいられることは幸せです。
あたたかいふとんやベッドで寝られることは幸せです。
ご飯を食べられることは幸せです。
水を使えることはすごくすごく幸せです。

これらが当たり前だと思わないでください。
今こそわたしたちが協力して何ができるかを考えていきましょう。

長い日記でしたが、閲覧ありがとうございました。

プーペをやり始めてハマりました音符



楽しいゆきうきハート




洋服の写真はぜんぶプーペに貼ってあるので




よかったら遊びにきてねラブ

ボブがだいぶ伸びてきてしまった。。。



この前ジャパセン行って買ってきました!!



黒く染めまーすねこ



プリンがひどい!!!






引っ越して約1カ月がたちました~きらきら



いろんなことをしましたくま





焼き肉パーチー



雑談パーチー



夕飯パーチー





学校も始まって毎日朝6時半起ききついです





髪型変えたいよ~



ショートにしたいよ~



前髪邪魔だよ~



切ろうかな~




PHが恋しいよ~





でもここもいいとこですラブ





どっか旅行に行きたいよ~





まとまりのないひとりごとでしたぺこ