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ある日突然起きたこと

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リハビリ期間 1

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祝!退院

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外出自粛…

不要不急の外出自粛…と言われる中
実家に帰った

ついでに1週間分の買い出しや、母が欲しがっていた物も買いながら


頂き物のたけのこを煮て持参して
夕食用に1品作り
トイレ掃除×2をしてタイムアップ

帰り際、少し父と2人で話す時間があった
外出自粛と言われる中、通所リハビリについて聞いてみた
すると父がポツリポツリと話し始める

この間、診察もあったんだけどDr.は

高次脳機能障害だからね〜

しか言わなくてさ
何だかなぁって

そっか。やっぱり病気が完治する・・・みたいな印象で、母を見ていたんだ
以前、子にも
もうすぐ、戻るよ
みたいな事言ってたもんな
その時も気になってはいたんだけど、伝えた方が良いかと思い

うん・・・高次脳機能障害だから、元には戻らないんだよね。脳を取ってしまった部分もあるから

戻らないのか・・・
でも思い出してる事もあるよ?

そうだね。完全に元に戻る事は、ないね。
私の印象としては、平成がガッツリ抜けた感じかな。
私達周りの人の事、名前は覚えていてくれた事は、本当に良かったと思ってる
でも、家電の使い方とか、前から得意じゃなかった事は、完全に忘れているし、新たに覚えようとしても難しいよね?
昔の事は、覚えてるよね
昔飼ってた犬の事
その頃よく行ってたお店の事
お店の人の事とか

先天的か、後天的かって違いはあるけど、病気じゃなくて、障害だから
完治する
って言う事ではないんだよね。
私が担当してる子達もそうだけど、本人が苦手な事や生活する上で、出来ると良いなぁという事を、療育先とかで、練習していくんだよね
それで積み重ねによって出来る事を増やしていく
でもきっと、その中にも本当は辛い事や苦手なままな事もあると思うから、それを社会で生かすことは彼らにとって、簡単じゃないし、とても疲れることだったりするんだよね

・・・そんな風に話してみた
話そうと思って準備していたわけじゃないから、なんともまとまりのない話になった気がする
あからさまに父は落胆していたとも思う
ただ、全否定するわけではなく

寝室のTVのレコーダーの使い方も、やってみようとは思わないし、ガラケーのメールも以前はできていたのに、やろうとしないよなぁ・・・

と納得する部分もあったようだった
母に起きてしまったことを、私はずっと後ろ向きに捉えて、ボロボロになって突然思い出して泣いたりしていた

回復期リハビリテーションの病院に転院したあたりから、精神的にも落ち着いていきていたし、リハビリを見学させてもらううちに、母の状況の把握もしやすかった
曲がりなりにも、要支援児担当の保育者として学んで実践してきていることが、不本意ながら生きた形だ

だからこそ、高次脳機能障害という障害を理解するのも、早かったし、何事もなく元どおりになるとも楽観的に考えることは、正直なかった
もちろん、事が起きてしまってショックで現状把握もままならない頃は、TVドラマの様な楽観的な感覚もあったけど、現状把握が出来る様になってからは、それはなくなった

落胆しなかった
と言えば嘘になるけど、でも特別支援について学んだことが、役に立ち私の理解を進めた
母の状況を客観的に捉えることにも繋がった気がする

それは離れて暮らしているからということも、あるのかもしれない

今回伝えた事は、良くなかったのかもしれない
でも、いつまでも元に戻ると思って、期限つきの母のお世話だと思っていたのだとしたら、父の立ち位置が変わってくると思うから、伝えてよかったとは思うし、それは現実を知るということなので、必要だと思っている

これが、余命宣告をされているのだとしたら、希望的観測も有りな場合もある
でも母の場合はそうじゃない
だから、父が知るべきだと思った

そうした説明が、Dr.からなされていたのかもしれない。でもなんとなくはっきり言われていないのだろうなぁという印象

言い方は選ぶ必要があるけど、希望的観測を生まないためにも、診断する以上は、それについてしっかり伝えてほしいと思った
もちろん、個人差はあると思う
でも、限界もあるはず・・・残念だけど
そうしたマイナス部分も理解した上での、ケアにしていくことが私は必要だと思うけど、どうなんだろう