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土曜日、行事の後会いに行った
子も一緒に

孫の顔が見られるのは、やっぱりとても嬉しそう
それに子は、初孫
今回の事が起きてから、母がはっきりと言い切ったことがある
弟も子どもがいるから、孫は複数いるけど

子が1番かわいい
1番近くにいたから

と。物理的に近くにいるのは甥っ子達だけど、精神的な近さは、娘の子であるうちの子という意味だろう

この日、私たちが病室に着くと、母は病室におらず、リハビリのスケジュールを見てもリハビリの時間ではなかった
シャンプーや洗顔が置いてなかったので、きっとお風呂と思い、子が行きたがっていた近くの本屋へ

本屋で、欲しい本を見ていると父から電話
病室に荷物を少し置いてきたから、私が来た事に気づいたらしく、電話をくれたよう
病室に戻ると、既に母も戻っていて、子の顔を見るなり、とても嬉しそうな穏やかな笑顔を見せてくれた

子もテスト週間や、部活でなかなか会いに来られなかったから、久しぶりの面会
テストの結果報告などしつつ、一緒に過ごした
何でもない時間
でも、そこは病室
早く帰りたいと母は言う

途中、担当PTさんのリハビリが入る
良い意味のスパルタのPTさんなので、見ていてもとても安心していられる
この日は、腹筋背筋強化の運動と、杖での歩行、階段上り下り、杖なしの歩行と続いた

杖なしの歩行!
と少し驚いたけど、歩けた
PTさんが側にいるけど、1人で歩いている
最初は壁まで歩いて、その後は壁伝いに、壁がなくなると1人で
歩いている!母が1人で、杖なしで歩いている

4ヶ月前
突然の出来事で、脳挫傷、硬膜下血腫を負い緊急手術を受け、2週間意識がなかった
意識が戻っても、首すら動かせなかった
それが今、母は1人で歩いている

凄い
ここまでこれた
母が、自力歩行出来ている
凄い

正直、ここまで戻ってくることが出来るなんて、思ってもいなかった
ただ漠然としていたし、最初は現実を把握する事が全く出来ていなくて、簡単にある程度戻るとも思っていた節があった
“意識不明 重体”
だったのに・・・
日が経つにつれ、現実を押し付けられ、更に検索をしても、長い見通しが立たない期間が長かった

そんな時期があったのに、ここまできた
そして     でも、書いた階段の昇降機を取り付ける事について、父が話をすると母は即行で
「私が、治らない(階段を上がれる様にならない)みたいで(可能性を否定されているみたいで)いやだ」
と言ったそう

そして父は昇降機について、担当PTさんにも話をすると、PTさんは
階段、上がれる様になると思いますよ
と仰ったと

弟の優しさや、心配する気持ちは、とてもありがたい
離れて暮らす私も、出来れば昇降機がある方が不安が少ない
でも、良くなりたいという母の気持ちは、誰かがそうしたい!と思って作れるものではないから、いずれ必要になる時が来るかもしれないけれど、今・・・ではないのかもしれない

それでも、それでも心配で仕方ない