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市民病院の時は、現状把握が曖昧で、自分がいる場所を完全に理解するまでには至っていなかった母

今は、母に起きたことについても話が出来るが、どうして階段を落ちてしまったのかは、覚えていないと言う
その後父、弟や私からその後の話を聞いて、手術したこと、2週間意識がなかったことなど知ってはいるが、意識のない間の記憶はないと
更には意識回復後、市民病院で過ごしていたことも今では覚えていないと言う

回復期リハビリテーションの病院に転院して、1日3〜4時間のリハビリの効果か3日程で、今まで出来なくなっていたことが次々に出来るようになり、意識もよりクリアになり、現状把握が出来るように

ただワーキングメモリの弱さはあって、父が母の入院と同時に、仕事を辞めたことはいつまで経っても覚えられない様子
毎日母の元へ通ってくるわけだから、仕事に行っている時間はないと、考えたらわかりそうなものだけど、その辺りはやはり弱い様子

そして、意識がよりクリアになったからということもあってか、気分が落ち込む様子も見られるようになった
入院生活が辛いの
と涙ぐんだり、私が帰るというと、
また来てね、帰りたい
と泣いたり
母が泣いちゃうんだよねと子に話すと、とても悲しそうな顔をするから・・・と伝えただけでも、
だって帰りたい
と涙ぐむ

そんな様子を見かねた父と弟が相談して、主治医の先生に最長で4ヶ月くらいの入院になると言われていたのを、2ヶ月半程で切り上げさせてもらえるように話をした
それに加えて、父が母に楽しいことを考えられるように、何か励みになるようなことを・・・と考えたようで、いただいたお見舞いに快気祝いをお返しするのが自然
でも父は親戚に限って、食事会という形でお返しすることを思いつき、その食事会を楽しみに、母にリハビリと入院生活を頑張ってもらおうと考えた

その作戦は、思いのほか効果を発揮
母は事あるごとに、
私の退院祝いのお食事、どこがいい?
とか話題にするようになった

合わせて、退院する時のお洋服も父が何でも買って良いと言ったようで、
母が利用していた通販カタログを見て、一緒に選んだり

とにかく父は母がこれ以上、落ち込んだり、泣いたりする姿を見なくて良いように、あれこれ考えたよう

少食だけど美味しいものが好きで、料理上手な母が、病院の食事をなかなか食べられなくて一時は体重が30kg台になってしまったりもしたので、今でもおやつに色々おせんべいや、ヨーグルトなど買っては母に持っていく父
今まで、家事も何もかも母に任せっきりだった父が、自分と母の衣服の洗濯、自分の食事、それに加えて母の食べられそうなおやつの調達、保険やその他の申請・・・
そして、母が帰っても不自由のないように1階を整えて(実家は、2階が生活のメインの準2世帯)新たにTVや、冷蔵庫、小さなダイニングテーブルの購入と、休みなく母の為に動いている

そんな父の姿を見ると、不器用ながらも家事も担って、この先も母のことをケアしながら生活していく覚悟のようなものも感じると共に、
もし私が母の立場だったら、夫はここまでしてくれるだろうか・・・と、少し不安になる

意識のない母に、父は私や子の前でも恥ずかしがる事なく

あなたのことが好きだから、毎日きてるんだから・・・

と話しかけていた
結婚して40年以上経っているのに、そんな言葉をかけられるなんて
意識がないからこそかもしれないけど、子や孫の前で、伝えられるなんて我が父ながら素敵だなと思った





そんな姿を見ているがゆえに、もし自分だったら・・・ここまでしてもらえないよなぁと思ってしまう私
私はポクっと逝かないと
なるべく夫より先に、ポクっと