今日、俺の従兄弟が亡くなったとの知らせを母から受けた。
母方の従兄弟だが、母は9人兄弟の末っ子であり、同じ兄弟の中でも一人年齢が離れていて物心ついた時には既に両親はいなく、兄弟に育てられていたと聞く。そんな母と同い年の俺の従兄弟。母にしてみたら年の離れた自分の兄弟の息子。だが、同い年だから小さな時から母にとっても兄弟であり、従兄弟の様な感覚だったらしい。
俺からしてみたら従兄弟だが、叔父が亡くなったような感覚だ。遠い親戚の叔父さん。悲しむに悲しめない。しかし、亡くなったのは事実である。
周孝さんって言うのだが、必ず今迄に世話になってるはずである。
ありがとうございました。
母が落胆してる姿が、目に浮かぶ。
人は、悲しみはない方がいいに決まっている。楽しんだもん勝ちである。しかし、乗り越えられない人には、悲しみは来ない。乗り越えられるから、さらに強くなってほしいから悲しみがくると思う。親戚一同が集わなければならないから、集めてもらってるんだと思う。だから悲しいけどありがとうって言いたい。人は、一人で生きて行けないから。人は、年齢を重ねたっていつまでも自分は自分で変わらないし、長く生きたな!なんて思える時なんか来ねえなって思う。何歳になっても人生短いなって思うな、俺は。こんなことを今日思わさせてくれた従兄弟は、やっぱりすげえ人だったんだなって思う。楽しんだ人生だった?って今、問いたいよ。またね!
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