「やらない善より、やる偽善。」
東日本大震災が起きてから、この言葉を目にする機会が多くなったように思う。
今回はまず、この言葉について、今回の災害のことも踏まえ、研究していきたい。
そもそも 偽善 とは何か。
これは、カントのいう「仮言命法」に当たるもの、つまりは、それ相応の道徳心を持ち合わせていない一方で、それを感じさせるような行動をすることである。(※したがって、道徳心と行動が一致した場合、つまり善を「定言命法」という。)
「~したら、(相手から)~してもらえる。」といった、見返りを望んだ行動が仮言命法の例としてあげられることが多い。
しかし一方で、これもまた仮言命法の有名な例である。
「お年寄りに席を譲らなければ、周囲から白い目で見られるので席を譲った。」
見返りではなく、自分自身にマイナスな印象がつくのを防ぐためにも使われるということだ。
ここで、考えてほしい。いま自分が偽善者ではないか、と。
今回東日本で日本史上最大の大災害が起こり、数多くの機関が義援金を募っている。
多くの人は何らかの形で募金をしただろう。
それは「仮言命法」に基づくものだろうか、それとも「定言命法」に基づくものだろうか。
多くの人は、この問いかけに対し、上記の言葉を発するのだ。
「やらない善より、やる偽善。」 つまり、彼らは仮言命法だと自称しているのだ。
しかし、仮言命法では問題がある。
それは、先述の通り、仮言命法には「何かしらの見返りや、自分に降りかかる負のイメージを嫌う」という心情に基づく行動だからだ。
では、どんな見返りや、負のイメージを嫌っているのか。
見返りについては、「今度自分が被災したときに助けてもらうため。」 負のイメージについては、「周りが募金しているため。」であろう。
これのどこに問題があるのだろう。それは既に報道番組で度々出てくるあの問題につながる。
「物資の買占め」である。
募金した皆が定言命法に基づいたものであるなら、この問題は生じない。なぜなら、「被災者の方々に物資が回るように」配慮するからだ。
しかし、仮言命法に基づいたものであるならどうだろう。「自分が被災したときに~」なんて考えている者は、「自分が被災したときのために」買い込んでいるだろうし、「周りが募金しているので~」と、周囲に流された人は、今回も「周囲に流され」買い込んだのだろう。
自分は偽善者だといってふんぞり返っていた人はもう一度考え直してほしい。
今大事なのは「今後被災するかわからないあなた」ではなく「今被災してる方々」なのである。
これに対し、「それでは危機管理能力に欠ける、明日はわが身だ。」なんて言い訳する輩がいるかもしれない。
そんな輩に言いたい、「なぜ今まで危機管理が不徹底だったのか。」と。
いまさら買占めを行って危機管理能力がどうのこうの言い出す人は人格形成に失敗した言い訳マシーンとしか思えてならない。
買占めを行った方々は、どうか余分な物資を被災地へ送っていただきたい。
一人でも多くの命ではなく、今生きている方々全員を助けるために。