昨日は、わたし
いっぺん死んで来たこと を皆さまにお知らせいたします
▶訪問診療医:NOBUKO先生のブログ
私のメンターである、高橋ナナさんのご紹介で
NOBUKO先生のワークショップ
『いっぺん死んでみるWS』 を受講しました。
冗談でも、ふざけている訳でもなく
真剣に、真摯に、真面目に、真っすぐに
『死』 に向き合う時間でした。
なぜ私達は「死」について話をするとき
タブーの様な、あまり触れてはイケない様な
そんな感情を抱くのでしょうか?
死ぬことは、負けることではない…
ただ、魂がボディを脱ぐだけ
ただ、肉体から魂が離れるだけ
…ただ、それだけ
でも私達は、死に対し
この世の終わり(ボディを脱ぐという点では)を感じ
絶望を味わい、恐怖すら感じてしまう。
個人の受け取り方や、考え、思想は少し置いておき
それって、ちゃんと
『死』に対して、知らない事が原因なのかな?とも…
昨日のWSを受けて、率直に感じました。
私達はこの人間ゲームという今世に身を投じたその日から
その期限の長さはそれぞれですが
誰でも必ず、『死』という終焉を迎えます。
それはみんな平等
でも、いつその日が来るか?は誰にも分らない。
だから、その事について話し
自分の思いや考えを周りに伝えておく事はとても大切だし
今という時間を、しっかりと生きる事にも繋がる。
現役のお医者様を務めているNOBUKO先生だからこその
現場での話、専門的なこと、
今まで見てきた沢山の死に際の話…
本当にこういう機会を設けてもらえて
私にはすごく貴重な、大切な時間になりました。
(NOBUKO先生、ありがとうございました)
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でね、薄々感じてはいたのですが…
わたし
執着がほとんどなかったんです 笑
それは、生きる事にも、死ぬことに対しても~…でした
自分の大切なものを、死ぬ過程でドンドン手放していくのですが
私は、どれを選ぶか?に若干迷う事はあっても
その大切なものを書いた紙をポイポイと躊躇なく捨てていけました。
何なら、大切なものを書き出す際
なかなか浮かんでこないものすらあった位です。
人生に拘りがない訳ではないし
日々を投げやりに生きている訳ではないのだけれど
私は2年前に一度、自分は死んだと思っています。
それは私の中で人生の絶望を味わったのがちょうどその頃で
まさに身も心もボロボロで、あり得ない位のドン底を経験しました。
(今振り返っても、よく生きていたな~と笑)
そこからこの2年間で、関わる人や出来事を通し
目が醒めて自分の役割を思い出したし
自分の中の『エゴ』という部分もだいぶ落ちてきた。
だから今は
とてもフラットに過ごすことが出来ているんだろうな…とも
そういった経緯があるので
日々起こる事、それに抗うことはないし
勿論、自分の中での願望や希望は多々ありますが…
人生は必要なことしか起きないし
それが無くなったとしても、ただそれだけだと思っている。
それが、こういう生き方に繋がっている気もします。
そして一緒にWSに参加して下さった皆さんの
各々の意見や想いを沢山聞く事が出来たこと
それもとても良かったな~と
(ご一緒して下さった皆様、ありがとうございます)
自分と他者との違い
その人の個性を認め合い、尊重しあう事は
自分の枠を拡げる事にも繋がり
こうして色んな方と共存して生きているんだな~と
再認識する場にもなりました。
今を生きる
よく使われる言葉ですが
いつか来る肉体を脱ぐその日まで
自分純度100%で
自分の人生に責任と自信をもって
この命を全うしたいな~と、そんな事を想った昨日でした。
そして、毎日にモヤっとしていたり
未来への不安や、死ぬことに対して恐怖や怖さがある人
ご家族でそういう局面を迎えている人がいる方
そうでない人達も、みなさん
NOBUKO先生のWS
受けた方が良いですょ~
いつかやろう…ではなく、まさに『今』でしょう
Sam Feldt & Karma Child - The Best Days
本日も素敵な一日となります様に
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