空手備忘録②大学体育会空手道部ー8 | 極真空手守山支部長のブログ

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名古屋市守山区の空手道場
名古屋市守山区向台2-1605 天子田コミュニティセンター 土曜日18時~20時 21時まで開放
幼児から壮年まで男女、親子、兄弟が仲良く稽古しています 無料稽古体験してみませんか
極真会館尾張名古屋松田道場(松田伸雄総師範) 電話(0568)85-5533

三年生の時から団体戦のメンバーとして東海大会で試合に出ることになりました。

東海学生空手道選手権大会

東海大会の前には審判講習会が行われます。大会では各大学のOBが審判をするため、OBの審判の勉強のために練習試合が行われました。

本番の大会前に精神的に優位に立ちたい、いわゆるビビらせたいとの意識が働くのか、明らかに上段に突きを当てにくる選手や、某大学はキックボクシング式の組手で肘打ちや、つかんでの膝蹴り連打をしてきたりとハードな戦いが多かったです。

私も興奮して極真空手の正拳顎打ち(顔面ガードの構えからの上段突き)で打ち込み、審判から「ボクシングじゃないんだから!💢」と御指導いただいたこともありました。

団体戦は五人で対戦するのですが、私はいつも先鋒=一人目でした。極真空手の下地があり、異質な元気の良さが売りだったからでしょうか。

私の組手は大学伝統の決め技、右中段逆突きはもちろん狙いますが、前足での左中段回し蹴り、後ろ足での右足払いからの右上段突きは良く使いました。

回し蹴り

大会は午前中が団体戦で、午後から個人戦でした。団体戦は大学の為に勝たなくてはというプレッシャーがあり、逆に個人戦は自分のために伸び伸びと戦ったのですが、伸び伸びと戦いすぎて左上段回し蹴りでKOしてしまう(極真空手では一本勝ちですが)反則敗けが何度かありました。

東海地区の強豪大学には、卒業後に伝統空手の四大流派の一つの流派の全国大会で準優勝する強豪が同級生にいました。そして全日本空手道連盟のナショナルチームのメンバーにも選ばれたそうで、現在、某県空手道連盟会長の要職に就かれてみえます。

一度試合で対戦した際には、「三角飛び裏拳打ち」の大技でやられました。左足前で一旦左斜め前に飛び、すぐさま右足を前にして右斜め前に飛び込み右裏拳を側頭部に決められました。この時はレベルの違いに呆気に取られました。

後の全空連ナショナルチーム選手との試合

三年生、四年生と試合に出て東海大会団体戦の優勝はありませんでしたが、準優勝やベスト4でしたので、東日本大会、全日本大会に出場することができました。

日本武道館

武道の聖地、日本武道館で開催される大会は独特の雰囲気がありました。大太鼓の響くなか大学名がコールされ順に入場する開会式の演出は、意識が高揚し素晴らしかったです。

東日本大学空手道選手権大会

東京の強豪大学は見るからに強そうで、アップの段階から迫力がありました。そして発破をかけるOB達はある意味強面(こわもて)が多く迫力満点でした。

一流の空手家を多数排出する、東京の硬派で有名な強豪大学の試合を見ました。先鋒が後ろ回し蹴りで豪快にKOし反則負け。相手校は次鋒以降、明らかにビビって本来の力を出せず、楽々とポイントを取られて負けていました。そんな強豪ひしめく中でも、東海地区の代表として負けずに頑張ろうと気持ちを奮い立たせて試合をしました。

全日本大学空手道選手権大会

サザンの桑田さん達の出身大学、世間では軟派な大学と思われていましたが、空手道部は東京で揉まれているだけあって強く、私は上段突きを強く当てられ唇から大量出血し医務室で縫ってもらいました。

その医務室で、もつれた際に頭突きをしたら、相手の歯に当たり額から出血して縫ってもらっていた選手もいました。大学生なので皆血気盛んで、血を見ることも珍しくありませんでした。

今年の東京オリンピックに「空手」が正式競技となり、テレビで選手の試合を見る機会も多くなりました。私が試合に出ていた頃から30年以上たち、進化した多彩な技の数々は素晴らしく日本選手の活躍が今から楽しみです。

伝統空手ですので試合は組手ばかりでなく、型の試合ももちろんありました。

大学の東海大会や空手流派の大会では、流派の館長から習った「十八=セーパイ」を演武しました。この頃から型は好きで一人でよく稽古していました。常に実際に使える型でなくてはいけないと考えていました。それは現在も同じです。

空手流派の大会でセーパイ
東海大会でセーパイ
(つづく)