おはようさんです〜。

なんだか気がついたことがあって…

書いときます。



なんでそんなことするの?

人にもの頼む時の頼み方ってあるよね?

なんで子どもが寂しがってるのにそこまで仕事するの?


日常にいろんな

なんで?がある。



私は51歳…。

母は既に他界。


母はワーキングウーマンのはしりで

男女平等、女性の社会進出まっしぐらの人だった。


私は0歳児から保育園と保育園に近所の老夫婦が迎えに来る二重保育。

母親が新聞に載ったり、女性課長第一号などと褒め称えられてる横で


家事は途中から近所に引っ越ししてきてくれたおばあちゃんに全任せ。

私は保育園生活から学童クラブへ。



女性の出世ってね、

家のことめちゃちゃんとやってたら

ありえないことなのよ。


体験者としてね。

自分は出世して活躍してた母の子どもとして

の体験しかないけど、そこまでして活躍して

仕事やりたかったのか?






寂しい思いはずっと残るんよね。



で、ずっと母親に対して

なんで?

なんでそうしたの?


って理解できなかったけど


私と母は別人だってことなのよね…🤔



母親を

自分と同じ感性や考え方の人

私を産んだ人だから

私を理解してくれる人

って幻想があった。


だから、なんでそうなの?


って批判的に思ってた。



でも、私が気にするようなことが

全く気にならない人がいて


びっくりするくらい種類が違う人に会って


動揺したけど


わかってくれるはずって

他人への期待が

自分を苦しくさせてるんだな〜。

と気がついた。



遠い関係の知り合いみたいな人には

全くそんなことを期待しないけど


母親への期待が


母を認めれない自分を作って

そんな自分を嫌って

重たさを生んでたのかも。



人間ってくくりは一緒だけど

親であっても

自分の常識は

一緒ではないんよ。



きっと私の母親は

私の寂しさを知ったとて

仕事を選んでいたんだろう。


私はそれができないんだけど

そんな私を責めなくて良くて

社会で大きな成果を生み出さなくて良くて


自分のペースで

のんびりと心地よく

何も生産してなくても

平和な毎日を選ぶ。


それぞれ違うから。

わかりあおうとしなくて良い。



あ〜、そっちを選ぶのね。

以上、終わり!

で、自分の好きなペースの生活に集中してれば良いのです✨


選ぶものは人それぞれ。



私は私のペース、道、やり方でいこう🫰


ではではまた!