今日、令和7年6月20日、
長年気になっていた作業場兼倉庫の解体が始まった。
少しづつ片づけなくてはと思っていた倉庫の解体。
ここは若い頃にロクロを回していた場所。

22歳の時にヨーロッパに渡った。
帰国してから再度ロクロの基礎から始めた。

窯元で修業を始めた時は壺専門の修業だった。
幸いかは分からないが教えて下さる先生がいなかった。
がむしゃらに自分なりにロクロを回していた。
あの時は一日中がロクロ中心だった。

はやく一人前にロクロを操れるように、
午前零時近くまで窯元に出かけてロクロを回した。
練習を重ねるうちにコツもつかめた。

石川の伝統工芸産業はすべてが分業制。
そんな世界に飛び込んだ私。

窯元の社長の勧めで展覧会に出品。
運よく入選を重ねることができ最高賞も受賞した。

そんな私を攻めて来たのは九谷焼き作家たち。
なぜか分からなかったが理不尽な理由で追いやられた。
それでもくじけずに目標に向かって修業を続けた。

けれどあまりにもヒドイ仕打ちに日本を出ることに。
22歳の時に思い切ってヨーロッパに渡ることに。
横浜港からナホトカ。大陸鉄道でハバロフスク。
ハバロフスクからモスクワまでソ連航空アエロフロートで。

モスクワで3日間滞在し観光など体験。
しかし不思議というか違和感ばかりのモスクワ。
何かが違う、変だと感じたことが多々。

案内してくれたモスクワの青年からも注意をと。
とても親切な日本語の上手な彼も
無事に次に行けるようにと。
そう、あの時はソ連時代。

すこし怖い目にも遭遇したが無事にスェーデンへ。
スェーデンから乗り継いでイギリスへ。
そうしてヨーロッパの生活が始まった。

イギリスを拠点にヨーロッパの国々を取材。
最初にギリシアに飛び取材を始めた。

国々を取材して分かった事。
工芸、特に陶磁器に関しては日本が最高と。
日本を離れ改めてみると日本が1番。

イタリアで彫刻の勉強をしたかったが、
そう簡単には実現できるはずもなく。
その分沢山の取材を重ねて帰国。

そして改めてロクロと焼き物の修業開始。
その時に仕事をしていた場所がこの作業場。
いろんな思いが詰まった作業場兼倉庫。
気になっていた解体が実現でき安堵。

今日の夕方には基礎部分だけが残った。
明日は更地にする作業。

お世話になった作業場、長い間ありがとう。